牧師コラム 『主を信じる者への祝福』 2020年11月15日

牧師 高橋勝義

イサクの時代にも父アブラハムの時代と同様にカナンの地に飢饉が起こりました。

イサクが食物を求めてゲラルまで行くと、主は彼に現れ「エジプトへは下ってはならない。わたしがあなたに告げる地に住みなさい~ わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。~ あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす。」(創世記26:2,3)と語ってくださいました。こうしてイサクは、神の命令に従いゲラルに住みます。
ところがその土地の人々に妻のことを尋ねられると、「あれは私の妹です」と答えてしまいました。人々が美しいリベカのことで自分を殺すのではないかと恐れたためです。しかし神様はリベカがイサクの妻であることを、ペリシテ人の王アビメレクに見せたので、王はイサクに問いただし、ただちにすべての民に「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される」(創世記26:11)と命じました。

父アブラハムと同じ過ちを犯したにもかかわらず、難を逃れその地に住んだイサクは、その年に百倍の収穫を見たのです。それは主がアブラハムに誓った誓いは決して変わることがないからでした。しかし、ますます栄え、豊かになっていくイサクをペリシテ人はねたみ、父アブラハムの時代に掘られた井戸はすべてふさがれてしまいました。さらに、ゲラルの王は自分たちよりも強くなっていく彼を追い出してしまいます。

イサクに現わされる主なる神の祝福に圧倒され、彼を恐れたのです。

イサクを祝福された神は、イエス・キリストを信じたあなたを祝福してくださいます。「信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受ける(ガラテヤ3:9)」と聖書は約束しているからです。

牧師コラム 『あなたの宝はどこに』 2020年11月18日

牧師 高橋勝義

アブラハムの息子イサクは神の導きによってリベカと結婚しますが彼女も母サラと同様不妊の女でした。イサクは自分の妻のために忍耐強く主に祈り、その祈りは聞かれ、リベカは身ごもったのです。
ところが、彼女の腹の中では子どもたちがぶつかり合うようになり、不安を覚えたリベカは主のみこころを求めました。すると主は「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25:23)と答えられたのです。月日が満ち、最初に出て来た子は、 赤くて、全身毛衣のようでした。彼らはその子をエサウと名づけます。その後で弟が出て来ましたが、その手はエサウのかかとをつかんでいたので、ヤコブと名づけられました。

エサウは巧みな狩人で野の人、ヤコブは穏やかな人で天幕に住む人となりました。しかし猟の獲物を好む父イサクはエサウを愛し、母リベカはヤコブを愛している、という家族の歪みも起きてきました。

ある日ヤコブが煮物を煮ていると、野から疲れきって帰宅したエサウがその煮物を求めてきました。すかさずヤコブは、「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください」と言ったのです。空腹のエサウはヤコブの申し出を受け入れ、煮物と引き換えに自分の長子の権利をヤコブに売りました。
聖書は、「こうしてエサウは長子の権利を侮った(創世記25:34)」と記しています。長子は家の財産をすべて相続すると同時に、神がアブラハムに与えた約束と祝福を受け継ぐことをも意味します。
目の前のことにしか関心がなかったエサウは、神が与えようとしている霊的祝福を失うことになってしまいました。

「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです」(マタ6:21)

牧師コラム 『へりくだる者とともに住む神』 2020年11月1日

牧師 高橋勝義

アブラハムは、自分の全財産をイサクに与えました。そして側女たちの子には贈り物を与え、自分が生きている間に、彼らを東の方、東方の国に行かせて、自分の子イサクから遠ざけたのです。アブラハムは、幸せな晩年を過ごし、満ち足りた百七十五年の生涯を閉じ、自分の民に加えられました。その息子イサクとイシュマエルは、父アブラハムをイサクの母サラが葬られているマムレに面するマクペラの洞穴に葬りました。(創世記25:5~10)

イシュマエルはサラの女奴隷、エジプト人ハガルがアブラハムに産んだ子でしたが、神は「わたしはあの子を大いなる国民とする(創世記21:18)」と約束された通り、彼にも12人のこどもを与え、やがてそれぞれが氏族の族長となっていきます。
そのイシュマエルも百三十七年でその生涯を終え、自分の民に加えられました。

アブラハムの死後、神はその子イサクを祝福され、イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みます(創世記25:11)。
イサクにとって、父アブラハムと過ごした75年の中でも特に、モリヤの山での出来事は、決して忘れることのできない経験だったことでしょう。父アブラハムの神を畏れ、神に聞き従う純粋な信仰と、その父に対する神の真実、愛と恵みが、心に深く刻まれたからです。イサクにとって、神を畏れ、どんな時にもまず礼拝する父の姿は、これから自分が一族の長として歩む大切な指針であると再認識させられたのです。

「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。」(イザヤ57:15)

牧師コラム 『イサク、リベカを迎える』 2020年10月25日

牧師 高橋勝義

しもべは、イサクの待つネゲブの地にリベカを連れ帰る旅を続けました。

一方イサクは、その日の夕暮れ近く、野に散歩に出かけていました。たぶん、一日千秋の思いで、しもべたちが帰って来る方向をじっと見ていたのでしょう。彼が目を上げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来たのです。
リベカにも彼の姿が見えました。リベカはらくだから降り、しもべに「野を歩いて私たちを迎えに来る、あの方はどなたですか」と尋ねます。しもべは、「あの方が私の主人です」と答えました。そこで、リベカはベールを手に取って、身をおおったのです。(創世記24:62~65)

しもべは、自分がしてきたことを残らずイサクに話しました。それは、主人アブラハムの神、主がどのようにして旅を成功させてくださったのか、また、リベカが「はい、行きます」と堅く信仰に立ってイサクのもとに来る決断をしたことなどです。

イサクは、父アブラハムが、しもべを送り出す時、恐れと不安を抱いている彼に「あなたの前に御使いを遣わされる(創世記24:7)」と力強く語ったことを知っていました。イサクは父アブラハムの信仰に答えてくださった神の真実、そしてリベカの信仰を聞き、神がこの結婚に、深い愛と恵みを注いでくださっていることを実感したのです。
イサクは、母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛し、母の亡き後、慰めを得たのです。(創世記24:67)

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」

牧師コラム 『はい、行きます』 2020年10月18日

牧師 高橋勝義

井戸のそばでアブラハムの老僕に会ったリベカは急いで家に帰り、自分の身に起こったことを母に知らせます。兄ラバンも妹リベカが身に着けている高価な飾り輪と腕輪を見て驚き、その理由を聞くとすぐに井戸へ走り、しもべを家に迎え入れます。

食事が用意される中、しもべは「私の用件を話すまでは、いただきません」と言い、促される中で、主人アブラハムから息子に親族の娘を妻に迎えるようにと命じられてここに来たこと、そして井戸のそばに着いた時、主人アブラハムの神に祈った祈りが聞かれ、リベカに出会い、主が旅を成功させて下ったと確信したことを話したのです。
兄ラバンと父ベトエルは、「主からこのことが出たのですから、私たちはあなたに良し悪しを言うことはできません。ご覧ください。リベカはあなたの前におります。どうぞお連れください。主が言われたとおりに、あなたのご主人の息子さんの妻となりますように。」と答えます(創世記24:50,51)。

しもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝しました。

彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど私たちのもとにとどまらせて、その後で行かせるようにしたいのですが」としもべに願いますが、一刻も早く主人アブラハムのもとへ戻りたいしもべを前に、彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねます。
しもべの話にじっと耳を傾けていたリベカは、自分の身に起こったことが神から出たことであると悟り、堅く信仰に立ち「はい、行きます」と答えました。(創世記24:58)

「あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。(申命記28:2)」

牧師コラム 『私の主人アブラハムの神よ』 2020年10月11日

牧師 高橋勝義

アブラハムの老僕は、その指示に従いイサクの妻を迎えるべく、主人のあらゆる良い品々とラクダ十頭を連れて、親族の住むナホルの町へと出発します。アブラハムは「天の神、主、はあなたの前に御使いを遣される」と力強く、彼を励まし、送り出しました。

目的地に到着したしもべは、夕暮れ時、町の外の井戸にらくだを伏させ、「私の主人アブラハムの神、主よ。~ この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」と祈りました。すると、しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来たのです。

このリベカはアブラハムの兄弟ナホルの孫でしたが、彼女はしもべの祈り求めた通り、しもべにも、らくだにも水を飲ませ、立ち働きました。この姿から神が祈りに答えてくださり、旅を成功させてくださったと、分ったのです。(創世記24:10~27)

私たちの信じている天の父は、私たちが求める前から、私たちに必要なものをすでに知っておられるお方です(マタイ6:8)。「へたな鉄砲も数撃てば当たる」とばかり、願いを連発するのではなく、このしもべのように神に向かって、信仰に固く立ち、具体的に祈り求めることを神は待っておられます。

「ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。(ヤコブ1:6)」

牧師コラム 『主があなたの前に御使いを遣わす』 2020年10月4日

牧師 高橋勝義

「イサクを献げよ」という試練の後、アブラハムの兄弟ナホルに子どもが産まれ、その子ベトエルに娘(リベカ)が生まれた知らせが故郷から伝えられ(創世記22:23)、アブラハムはこのことを心にとめていました。

歳を重ね晩年を迎えたアブラハムは、家の最年長のしもべを呼び「あなたは、私の国、私の親族のところに行って、私の息子イサクに妻を迎えなさい(創世記24:4)」と命じます。アブラハムの住むカナンの人々は、まことの神ではない神々を刻み、信仰していたからです。
しもべは主人アブラハムに「もしかしたら、その娘さんが、私についてこの地に来ようとしないかもしれません。その場合、ご子息をあなたの出身地へ連れて戻らなければなりませんか。」と尋ねます。アブラハムは、「天の神、【主】は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい。(創世記24:5~7)」と答えます。

ローマ帝国時代の殉教者ポリュカルプスが「わたしは86年間彼(主)に仕えてきましたが、彼(主)は何一つわたしに悪いことはなされませんでした」と語ったように、アブラハムもここまで自分を導いてこられた神の愛と恵みを覚えながら、信仰に固く立ち、神は約束してくださったことを必ず実現してくださると信じ、しもべに「あなたの前に御使いを遣わされる」と語ったのです。
しもべにとっては、まったく見知らぬ地に出向くわけですから、不安や恐れがあったはずです。しかし、しもべは、あらゆる面で神が主人を祝福しておられるのを見ていました。主人アブラハムの信仰に押し出された彼も、そのお方を信じ、踏み出す勇気が与えられたのです。

「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」

牧師コラム 『サラの死』 2020年9月27日

牧師 高橋勝義

「サラの生涯、サラが生きた年数は百二十七年であった」(創世記23:1)
最愛の妻サラとの地上での別れを迎えたアブラハムは、妻の死を悼み、悲しみ、泣きました。しかし、アブラハムは立ち上がったのです。神の召しに従って故郷を出て来た彼には、自分の土地がなかったため、サラを埋葬する土地を手に入れなければならなかったからです。
アブラハムは、マクペラの洞穴に妻サラを葬るために、ヒッタイト人エフロンから洞穴だけでなく畑全体を銀四百シェケルという高額で譲り受けました。(創世記23:19)。

神の祝福を受け、カナンの地の相続を神に約束されていたアブラハムでしたが、彼がその生涯で所有した唯一の土地は、このエフロンの畑だけでした。彼は、地上では天の故郷を目指す寄留者として歩み続けたからです。
聖書は、「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。(へブル11:13)」と語っています。

この「はるか遠くに見て喜ぶところ」とは、「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。(黙示21:4)」ところ、すなわち、天国のことです。
私たちにとって死は終わりではなく、希望に続く道なのです。
なぜなら神の愛が、罪の苦しみの中を永遠に生き続けなくてもよいようにしてくださり、さらに希望の場所、天国へと導いてくださるからです。その天国へ行く道は、私たちの罪の身代わりに十字架で死んでくださったイエス・キリストを信じることです。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたし(イエス・キリスト)を信じる者は死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)

牧師コラム 『神としてわたしは誓う』 2020年9月20日

牧師 高橋勝義

神はアブラハムに、大切な最愛の息子イサクをモリヤの山で全焼のいけにえとしてささげるように命じられましたが、これは彼にとって究極の試練でした。
しかしアブラハムは、今まで自分を導かれた神への信頼を疑うことなく、命令に従い、モリヤの山でイサクをほふろうとした、その時神はそれを止められ、さらには藪に引っかかっている羊を備えてくださり、無事、主を礼拝することができました。

アブラハムがこのように信仰に立てたのは、神の忍耐と愛に育てられてきたからです。彼のこの信仰に対し、天地万物の創造主である神は再び、「わたし(神)は自分にかけて誓う─【主】のことば─。あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」(創世記22:16~18)と誓われたのです。

神が遣わされた御子イエス・キリストは「わたしの父のみこころは、子(キリスト)を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです(ヨハネ6:40)」とすべての人々に対して宣言しています。

キリストがあなたの罪のために十字架で死なれたことを信じる時、このキリストの宣言と、アブラハムに誓われた神の祝福があなたの上に成就するのです。

牧師コラム 『主の山に備えあり』 2020年9月13日

牧師 高橋勝義

アブラハムは、神の召しに従って約束の地カナンに入り、「あなたの子孫にこの地を与える」との神の約束を信じ、失敗を重ねながらも、神の愛と恵み、助けの中で神のお取り扱いを経験してきました。そして、待望の約束の子イサクが与えられ、神の祝福の中に守られていました。これらの出来事の後、神はアブラハムを試練にあわせられたのです。

その試練とは、愛するひとり子イサクを神が示すモリヤの山で全焼のささげ物として献げることだったのです。アブラハムは、今に至るまで神の御手の中に守られてきたことを思い起こしながら、翌朝早く二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて、神が告げた場所へ向かいます。

その場所に着くと、「私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と若い者たちに告げ、イサクに薪を背負わせ、火と刃物を手に取り進んで行きます。途中、イサクから「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか」と尋ねられ、「主にとって不可能なことがあるだろうか(創世記18:14)」と語られた神の約束を思い起こしながら「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださる」(創世記22:8)と答えたのです。

そして、神が示された場所に着き、祭壇を築き、息子を屠ろうとしたまさにその時、主の使いが「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」(創世記22:12)と言ったのです。アブラハムが目を上げると、藪に角を引っかけた一匹の雄羊がおり、それを全焼のささげ物として献げることができたのです。

神の愛に育てられたアブラハムの信仰は、試練のときに神への全き信頼をもって応答できるまでに成長していたのです。
「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか」(ヨハネ11:40)