牧師コラム 『主の山に備えあり』 2020年9月13日

牧師 高橋勝義

アブラハムは、神の召しに従って約束の地カナンに入り、「あなたの子孫にこの地を与える」との神の約束を信じ、失敗を重ねながらも、神の愛と恵み、助けの中で神のお取り扱いを経験してきました。そして、待望の約束の子イサクが与えられ、神の祝福の中に守られていました。これらの出来事の後、神はアブラハムを試練にあわせられたのです。

その試練とは、愛するひとり子イサクを神が示すモリヤの山で全焼のささげ物として献げることだったのです。アブラハムは、今に至るまで神の御手の中に守られてきたことを思い起こしながら、翌朝早く二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて、神が告げた場所へ向かいます。

その場所に着くと、「私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と若い者たちに告げ、イサクに薪を背負わせ、火と刃物を手に取り進んで行きます。途中、イサクから「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか」と尋ねられ、「主にとって不可能なことがあるだろうか(創世記18:14)」と語られた神の約束を思い起こしながら「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださる」(創世記22:8)と答えたのです。

そして、神が示された場所に着き、祭壇を築き、息子を屠ろうとしたまさにその時、主の使いが「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」(創世記22:12)と言ったのです。アブラハムが目を上げると、藪に角を引っかけた一匹の雄羊がおり、それを全焼のささげ物として献げることができたのです。

神の愛に育てられたアブラハムの信仰は、試練のときに神への全き信頼をもって応答できるまでに成長していたのです。
「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか」(ヨハネ11:40)