牧師コラム 『神としてわたしは誓う』 2020年9月20日

牧師 高橋勝義

神はアブラハムに、大切な最愛の息子イサクをモリヤの山で全焼のいけにえとしてささげるように命じられましたが、これは彼にとって究極の試練でした。
しかしアブラハムは、今まで自分を導かれた神への信頼を疑うことなく、命令に従い、モリヤの山でイサクをほふろうとした、その時神はそれを止められ、さらには藪に引っかかっている羊を備えてくださり、無事、主を礼拝することができました。

アブラハムがこのように信仰に立てたのは、神の忍耐と愛に育てられてきたからです。彼のこの信仰に対し、天地万物の創造主である神は再び、「わたし(神)は自分にかけて誓う─【主】のことば─。あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」(創世記22:16~18)と誓われたのです。

神が遣わされた御子イエス・キリストは「わたしの父のみこころは、子(キリスト)を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです(ヨハネ6:40)」とすべての人々に対して宣言しています。

キリストがあなたの罪のために十字架で死なれたことを信じる時、このキリストの宣言と、アブラハムに誓われた神の祝福があなたの上に成就するのです。