牧師コラム 『サラの死』 2020年9月27日

牧師 高橋勝義

「サラの生涯、サラが生きた年数は百二十七年であった」(創世記23:1)
最愛の妻サラとの地上での別れを迎えたアブラハムは、妻の死を悼み、悲しみ、泣きました。しかし、アブラハムは立ち上がったのです。神の召しに従って故郷を出て来た彼には、自分の土地がなかったため、サラを埋葬する土地を手に入れなければならなかったからです。
アブラハムは、マクペラの洞穴に妻サラを葬るために、ヒッタイト人エフロンから洞穴だけでなく畑全体を銀四百シェケルという高額で譲り受けました。(創世記23:19)。

神の祝福を受け、カナンの地の相続を神に約束されていたアブラハムでしたが、彼がその生涯で所有した唯一の土地は、このエフロンの畑だけでした。彼は、地上では天の故郷を目指す寄留者として歩み続けたからです。
聖書は、「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。(へブル11:13)」と語っています。

この「はるか遠くに見て喜ぶところ」とは、「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。(黙示21:4)」ところ、すなわち、天国のことです。
私たちにとって死は終わりではなく、希望に続く道なのです。
なぜなら神の愛が、罪の苦しみの中を永遠に生き続けなくてもよいようにしてくださり、さらに希望の場所、天国へと導いてくださるからです。その天国へ行く道は、私たちの罪の身代わりに十字架で死んでくださったイエス・キリストを信じることです。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたし(イエス・キリスト)を信じる者は死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)