牧師コラム 『私の主人アブラハムの神よ』 2020年10月11日

牧師 高橋勝義

アブラハムの老僕は、その指示に従いイサクの妻を迎えるべく、主人のあらゆる良い品々とラクダ十頭を連れて、親族の住むナホルの町へと出発します。アブラハムは「天の神、主、はあなたの前に御使いを遣される」と力強く、彼を励まし、送り出しました。

目的地に到着したしもべは、夕暮れ時、町の外の井戸にらくだを伏させ、「私の主人アブラハムの神、主よ。~ この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」と祈りました。すると、しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来たのです。

このリベカはアブラハムの兄弟ナホルの孫でしたが、彼女はしもべの祈り求めた通り、しもべにも、らくだにも水を飲ませ、立ち働きました。この姿から神が祈りに答えてくださり、旅を成功させてくださったと、分ったのです。(創世記24:10~27)

私たちの信じている天の父は、私たちが求める前から、私たちに必要なものをすでに知っておられるお方です(マタイ6:8)。「へたな鉄砲も数撃てば当たる」とばかり、願いを連発するのではなく、このしもべのように神に向かって、信仰に固く立ち、具体的に祈り求めることを神は待っておられます。

「ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。(ヤコブ1:6)」