牧師コラム 『見ずに信じる者は幸いです』 2017年4月16日

牧師 高橋勝義

イエス・キリストは、『見ずに信じる者は幸いです』と語りました。

この言葉を聞いた人々の中には、見ずに信じるなど、とんでもないと思う方もおられることでしょう。しかし、日常生活に目を向けてみると、私たちは、様々なことを見ずに信じて、生活していることが分かります。

たとえば、電気は見えませんが、電気が来ていると信じているので、プラグをコンセントに差し込みます。

そして、様々な電化製品の恩恵を受けて、生活しているのです。

イエス様の弟子トマスは、ほかの弟子たちが「よみがえったイエス様を見た。」と言ったのですが、三年間、寝食を共にした仲間のことばを信じられず、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘の所に差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」(ヨハネ20:25)と言いました。

しかし、イエス様は、この慎重で疑り深いトマスにも、ご自身を現されました。

トマスが、「私の主。私の神」と言った時、イエス様は、『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』と語られたのです。

死んだ者が、よみがえる…人には、とても受け入れなれないことです。

しかし、神様は、死者の中からイエス様をよみがえらせました。

イエス様の復活は、罪の贖い(償い)、救いの完成であり、主を信じる私たちも同様に、終わりの日に復活することの証しです。

 ですから、イースター(復活祭)は、キリスト教信仰のかなめなのです。

2017年3月30日 万石浦仮設支援 (第161回)

日時:2017330()
場所:渡波万石浦仮設
参加者:15
奉仕者:9名(仙台教会7名、石巻教会2名)

 

久しぶりに晴れた朝となったこの日、昨年11月以来の万石浦仮設訪問をさせていただきました。参加者は15名。ほとんどの方は仮設を出られ各地域から楽しみに集まってこられます。 

ご婦人達は集会所にすぐに入らず、しばらくの間、ご自分の生活されていたお部屋や植えていたお花を見て過ごす方もおられ、集会所の中では手を取り合って喜びのご対面です。

 

おなじみの歌と体操で心と体をほぐし、K牧師の『歴史ヒストリア 石巻発展の基礎を作った川村孫兵衛重吉』の話に耳を傾けました。川村孫兵衛は石巻の有名人で日和山にその銅像があります。

川村孫兵衛は北上川から石巻港への運河(北上川)の河川大改修や仙台城下の用水路整備、水上交通のための貞山堀の建設を行いました。その働きは新田開発につながり石高生産に貢献し、石巻港は藩の玄関口として繁栄しました。

石巻ではその偉業をたたえて毎年、夏に川開き祭りを開催しています。川村孫兵衛の生来の頭の良さに加え妻がクリスチャンであったため、外国(宣教師から)の測量知識を得ることで多くの業績をつんだのではないかとの内容でした。(K牧師曰く、諸説有りますが…とのこと)  

 

昼食は各テーブルでおしゃべりを楽しみながら頂きました。お弁当も景品もちょうどの数が準備され、神様の御手が見えた気がして感謝しました。

石巻教会からの案内に加え、どなたか紹介したいことはありませんかの問いかけに自分の暮らす復興住宅に来て欲しいと希望を出される方。仮設の会長さんは毎週火曜にお茶飲み会をしているので参加してと呼びかけられました。

万石浦仮設は110世帯で始まり14世帯になっています。来年20189月までの入居期間となり、近くの仮設では統合も進められています。まわりもご自分の生活も変わっていく時期です。復興住宅に越すけれど、もう少しここにとどまりたい気持ちがあるとお話しされた方。とてもお元気だけれど、要介護2でデーサービスに週3回通っておられると言う方。仮設の人が出て行くまでは見守りたいと言われる会長さん。

人と集い楽しい時を過ごしたいという気持ちを強く感じました。今後も細く長く続けたいと思わされました。仮設から出られても石巻教会が人々のお茶飲み場となり真の交流、慰め励ましの場となって行かれるように是非、お祈り下さい。

仮設を出るのが、寂しいと言われた方に、聖書には明日のことは明日考えるようにとありますとお伝えしました。受け止めて下さって笑顔でありがとうと言われてほっとしました。これもまた、神様の御手の働きです。 

                                                  (高橋裕子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年3月2日 バイパス東仮設支援 (第160回)

 

・日時:201722
・場所:バイパス東仮設
・参加者:14
・奉仕者:8人(仙台教会6人、石巻教会2名)

 

 三月に入った朝、春霞がかかる穏やかな空気の中、石巻井内の仮設に向かいました。

今日は最終回ということで14人全員が揃って集ってくださいました。Sさん(91才の最高齢)もずっと体調を崩して休んでおられたのですが、お元気そうに笑顔で集ってくださいました。思わず二人で手を取り合い再会を喜びました。

 

 今日のクラフトは「小物入れ」です。表はブルーの濃淡の生地を縫い合わせ、内側は同系色の小花柄の生地を使ったとてもおしゃれな八角形の「小物入れ」です。身近に置いて車の鍵や腕時計など入れて置くのもいいし、お菓子を入れてもいい・・・。みんなで出来上がりを楽しみに針を動かして行きました。

 

 チャペル・タイムは、このクラフト教室をずっと準備し、指導して下さっていた斎藤圭子さんがご自分の救いと一年前に天国に召されたお母様のことをお話くださいました。神様のなさってくださったすばらしい御業のお証しに、皆さんじっと耳を傾けて聞いてくださいました。最後にお母さんとよく歌った「主我を愛す」をみんなで大きな声で歌いました。

 

 今日は最後の教室ということで仮設の方々が昼食を用意して下さいました。ひと時、お昼を頂き、おしゃべりを楽しんだ後、「3:11希望のコンサート」のご案内をし、これからのことをお話ししました。「出来たら石巻教会でクラフト教室を続けませんか・・・?」と。すると皆さん喜んで集ってくださると約束して下さいました。そうお話した直後、自治会長さんから「私が役所と交渉しますから、あと一年ここでやったらどうですか・・・?」とお話がありました。とっさのことでちょっとびっくりしましたが、「ありがとうございます。よろしくお願いします」とお答えしました。このような展開になったことに感謝して、神様の御業を崇めました。

 

 というわけで、仮設が完全に閉じる来年3月まで、同じ仮設の集会所をお借りしてクラフト教室を続けることになりました。大震災7年目に入るこのときまで、仮設での働きを守り導いてくださり、また御言葉を伝える機会をお与えくださった神様に、そしていつも祈り続けご支援下さっている全国の教会の兄姉に心から感謝致します。

 

                                                   (吉田真知子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牧師コラム 『あなたこそ神の子です』 2017年4月9日

牧師 高橋勝義

人は、相手によって、表面的に付き合う、干渉されない程度に付き合う、深く関わりたいので積極的に付き合う、といった具合に付き合い方や距離感を変えます。

さて、あなたと神の子イエス・キリストとの関係はどうでしょうか?

イエスという名は、御使いがヨセフに「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)と告げられたところから来ています。

その名前の意味は、『主は救い』です。

悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と大声で叫びました。(ルカ4:41)

イエス様の十二弟子のひとりであるヨハネは、イエス様と私たちの関わりについて、『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。』(Ⅰヨハネ4:10)と書き記しています。

イエス・キリストは、あなたを愛するゆえに、あなたの罪の贖いのために、十字架で死なれました。神様の方からあなたと深く関わりたい、積極的にあなたと付き合いたいと呼びかけておられます。

ですから、その神様の呼びかけに答えて、今度は、あなたが、イエス様に近づき、積極的に関りを持つ番です。

牧師コラム 『主イエスの十字架をめぐって』 2017年4月2日

      

 

牧師 栗原延元

                                     

今日は、主イエスの十字架をめぐる人々について学びます。第一に、ローマの兵士たちです。彼らは、シモンというクレネ人にイエスの十字架を無理やり背負わせ、「どくろ」と呼ばれた場所までイエスを連れ出し、そこでイエスを十字架につけ、イエスの着物をくじ引きで決めたうえで分けます。またイエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右にひとりは左に、十字架につけたのです。

第二に、道行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」第三に、祭司長たちも同じようにイエスをあざけって言った。「他人は救ったが自分は救えない。」第四に、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。

イエスはこのように、ののしられ、あざけられたのですが、驚くべきことに、これらの人々のために、こう祈られたのです。「父よ。彼らを赦してください。彼らは何をしているのか自分でも分からないのです。」(ルカ23:34)

第五に、イエスの正面に立っていた百人隊長は、「この方はまことに神の子であった。」と言ったのです。イエスの十字架をめぐる、これらの人達のどこに私たちはっているのでしょうか。

牧師コラム 『権 威』 2017年3月26日

高橋勝義

※2017年4月2日から午前礼拝(10:30~11:45)になります

大きな地震が起こると、ニュース番組では、アナウンサーが「地震の権威者である○○先生から、今回の地震について説明をして頂きます」と紹介します。

権威とは、辞書によれば、「地位や立場によって他の者を服従させる力」、また、「ある分野において、知識や技術が抜きん出て優れていること」とあります。

イエス・キリストは、人々に神の国について教えました。

聖書は、『人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである』(ルカ4:32)と書き記しています。また、イエス・キリストは、ことばで、汚れた悪霊につかれた人から、汚れた霊を追い出しました。この出来事を目撃した人々は、権威と力に満ち溢れるイエス・キリストに驚愕しました。本当に、びっくりしたのです。

悪霊を服従させることが出来たのは、イエス・キリストご自身に権威と力があるからです。そのお方が、『誰かが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたし(イエス・キリスト)はその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世(あなた)を救うために来たのです。』(ヨハネ12:47)と語りました。

人は、神から離れた歩みをしているために、憎しみ・恨み・嫉妬・妬み・怒りなどに支配されています。これが、【罪】です。罪から私たちを救い出すために、権威と力あるお方が、その権威を使わずに、〔愛〕によって、救いを成し遂げられたのです。

その愛とは、イエス・キリストが、私たちのすべての罪を身代わりに負って、十字架で死なれたことです。それほどまでに、あなたは、神に愛されているのです。

牧師コラム 『閉じた心』 2017年3月19日

牧師 高橋勝義

私たちは、様々な経験をしながら人生を歩み、そこから、たくさんの知恵や知識を得ます。そして、問題が起きると、それらを用いて、乗り越えようとします。

しかし、そこには、勘違いや思い込みもあります。

人は、一度、「こうだ」と記憶してしまうと、間違いだと分かっていても、プライドが邪魔をして、その間違いを素直に正せなくなります。

ここで重要になってくるのが、「謙虚になる」という心です。

イエス・キリストが、ご自分の故郷に帰られた時のことです。

故郷に帰られる前に、ガリラヤへ行かれ、人々に神の国について教えました。人々は、イエス様の教えを喜んで聞き、イエス様を尊敬しました。

生まれ郷里ナザレの人々は、どうであったか?ガリラヤの人々のように、イエス様の教えを喜んで聞くどころか、丘のがけからイエス様を投げ落とそうとしたのです。郷里の人々には、イエス様を幼い頃から知っている事がかえってあだとなり、「大工の息子が救い主であるはずがない」と決めつけ、心を閉じてしまったからです。

十二弟子のひとりマタイは、『イエスは、彼らの不信仰の故に、そこで多くの奇跡をなさらなかった』(マタイ13:58)と書き記しています。

思い込みや先入観によって閉じた心は、イエス・キリストを正しく見ることが出来ないだけでなく、神様が与えようとしている素晴らしい約束を見出すことが出来ません。

思い込みや先入観を捨て、心を開いて聖書を読んでみてはいかかでしょうか?

イエス・キリストが、あなたにとってどんなお方かが見えてくるでしょう。

牧師コラム 『嘲弄の限りを受けて』 3月12日

牧師 栗原延元

イエスの教えと行為を書き録す四福音書とも、詳しく記しているのがイエスの受けた苦難についてです。

その姿は実に誰しもが顔をそむけたくなるものです。

 今回、学びますマルコの福音書の個所では、ローマの兵士たちがイエスの頭にいばらの冠を編んでかぶらせ、葦の棒で頭をたたいたり、顔につばきをかけたり、「ユダヤ人の王さま、ばんざい」と叫んで、ひざまずいて拝んだり、あざけりの限りを尽くしてから、十字架につけるために、ゴルゴダ(されこうべ)の丘に連れ出します。

 救い主(キリスト)が来られたとき、人々は、彼にどのような事をするかは、キリスト降誕七百年も前に、預言者イザヤによって詳述されていました。

 〈彼(キリスト)は、さげすまれ、人々からのけものにされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった〉(イザヤ53:3)

 キリストが何故に苦しまなければならないか、その理由を知っていた者は、イエスと同時代の者は誰もいなかったのです。

 イエスが苦しまれたのは、人を罪と死から救う神の知恵なのです。

 この救いの知恵は、イエスを信じる者に開示されるのです。

2017年2月24日 サフランの会(第159回)

・日時:2017年2月24日  
・場所:石巻福音自由教会
・参加者:9名 (仮設2名、復興住宅2名、自宅5名)
・奉仕者:14名 (仙台教会 12名、 石巻教会  2名)

 

 当日、石巻は屋根に雪が薄く積もっており、仙台の道路状態が気になりました。しかし、仙台チ-ムの2台の車は予定通り無事到着。

 予定では参加者は14名でしたが、体調不良や病院予約日、はたまた数日前に確認をしてカレンダ-に丸印まで付けてあったのに、今日がその日であることに気付かず…等、結局参加者は9名になってしまいました。

 この9名の方々は、皆さん6年前の震災後に始まった仮設支援活動で知り合った方々ばかりです。現在はほとんどの方が自宅や復興住宅に落ち着かれています。しかし、この3月には、仮設が縮小集約され、仮設から仮設への引っ越しを余儀なくされる方もおられます。難儀なことです。

 そのような中、サフランの会では楽しく笑って過ごして頂きたいとプログラムを考え、祈り、準備しています。軽快なピアノの伴奏で「上を向いて歩こう」「幸せなら手をたたこう」「四季の歌」を歌い、そして「明日を守られるイエスさま」、最後は手話を交えて「主われを愛す」を大きな声で賛美しました。なんと素敵な表情でしょう…。

 そして、今回は仙台教会のご近所で石巻出身の方(この方も震災後の支援活動で教会に集われるようになった方です)が楽しい体操を教えて下さいました。

 続いて、深澤姉の生い立ちとイエス様に出会った証し。同じ時代を生きてきたみんなの心に響きました。そして、牧師のショ-トメッセ-ジ。

 炊き込みご飯、お吸い物、小豆かぼちゃのお昼を頂きながら、お茶する頃はそれぞれ深い話や楽しい話で盛り上がり時間が過ぎていきました。

 スポ-ツジェル、カリフォルニアの姉妹が編まれた襟巻き、トラクトを入れたおみやげの袋をお渡しし、来月の「3・11希望のコンサ-ト」での再会をお約束してお別れしました。

 いつも石巻宣教の為にお祈りくださり、ご支援くださっている諸教会の兄弟姉妹の皆様に心より感謝申し上げます。

  (高橋明美)

 

 

 

 

牧師コラム 『神の訓練』 2017年3月5日

 高橋勝義

 「獅子の子落とし」。わが子に厳しい訓練を与え、その器量を試すことで一人前に育てることが出来るというたとえです。実際には、母ライオンは非常に子煩悩、父ライオンは見た目によらず、意気地がないためこのような事はないようです。
 神の子であるイエス・キリストは、神から訓練を受けました。
 イエス・キリストが受けたこの訓練は、私たちが直面する個々の問題に対して、何を選択すればよいのか、その基準を私たちに教えてくれます。
 聖書は、『人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる(申命記8:3)』と語ります。「病は気から」とあるように、人は、心が健全でなければ、体を健康に保つことが出来ません。
 神の御言葉に信頼して歩む時、心は健全になるのです。
 また、『あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。(申命記6:13)』と語ります。人は、「権力と富」を追い求めますが、逆に、「権力と富」の虜になっているのではないでしょうか?
 本当にお仕えできるお方は、私たちを造られた神だけです。
 更に、『あなたがたの神、主を試みてはならない(申命記6:16)』と語ります。
 私たちは、解決できないことが起こると、神々と取引するような願掛けをします。
 聖書の神は、創造主の神であり、主権は、すべてこの神にあります。
 この神の御手にすべて任せて歩む時、希望を持って歩めるのです。