牧師コラム 『病と罪の赦し』 2017年5月14日

牧師 高橋勝義

 心の苦しみをどう解決するか?苦しみの原因のほとんどが、〈憎しみ〉や〈怒り〉から来ています。そこで、安らかな気持ちで生きるには、その相手を赦すことが必要になってきます。しかし、赦すことは、容易ではありません。

 ところで、聖書は、【罪】が〈憎しみ〉や〈怒り〉の原因であると語っています。

 病が直ったとしても、〈憎しみ〉と〈怒り〉を抱えたままでは、心の苦しみは解決されません。ですから、イエス・キリストは、中風の人に「中風が直りました」とは言わず、『友よ。あなたの罪は赦されました。』(ルカ5:20)と宣言したのです。

 イエス・キリストは、〈憎しみ〉や〈怒り〉の原因である罪を取り除くために、私たちの身代わりとなって下さり、十字架で死なれました。この十字架が、創造主である神と私たちの和解をもたらしたのです。つまり、神は、私たちを赦されたのです。
  この赦しを心から受け取る時、私たちの心が神の愛に包まれ、赦されることの幸いを味わい知るのです。この経験が、〈憎しみ〉と〈怒り〉から私たちを解放してくれます。

 人は、本当に愛された時、愛が分かり、人を愛することが出来るようになります。

 同様に、赦されることの素晴らしさを味わう時、『お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい(エペソ4:32)』の御言葉のように人を赦すことが出来る者に変えられるのです。

2017年4月20日 バイパス東仮設支援 第163回

日 時:2017年4月20日(木)

場 所:バイパス東仮設

参加者:9名

    奉仕者:仙台教会7名、石巻教会1名

 

 仙台にも桜の開花宣言が伝えられ、待ちに待った春の季節がやって来ました。

 今回は、大阪から参加してくださった男性のHさんも一緒に同乗してくださいました。もう何回も支援活動に当たってくださっていますが、このクラフト教室は初めてです。ご自分で作られた「小女子の佃煮」を持って来てくださいました。昨年の春から山椒の実を収穫し、塩漬けにして一年がかりで作るのだと仰ってました。手渡された参加者の方々も、その暖かいお気持ちにとても励まされたことと思います。

 

 今回のクラフトは、「バッグ イン バッグ」です。バッグの中の小物をすっきりとまとめて整理するのにぴったりのものです。皆さん、忙しく針を動かしながら、新しい家での生活についての話題は尽きません。また引っ越した後、体調を崩した方もおられました。「家にいてもかえってよくないので頑張って出てきました。教室があって本当によかった。」と。年を重ねてからの新しい生活はどんなにしんどいことかとお話を伺いながら思ったことでした。

 

 チャペル・タイムでは、カラフルにラッピングしたゆで卵をお渡しして「イースター(復活祭)」についてお話させていただきました。誰でも、甦ったイエス様を信じる者には、新しい命が与えられ罪の赦しと神の力が注がれます。私たちが縛られてきた妬みや裁き、プライド、赦せない心がいつのまにか消え、やさしい愛の心が生まれます。ぜひ新しい命に生きる道を知ってほしい、甦ったイエス様を信じて前に向かって生きる力を頂いてほしいと願いながらお話させていただきました。皆さん、真剣に耳を傾けてくださいました。そして「主は今生きておられる」を賛美しました。初めてとは思えない力強い賛美となりました。

 

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。」                   ヨハネ11:25   

                               

 いつもお祈りくださり、お捧げくださる諸教会の兄弟姉妹に心から感謝致します。

                           吉田真知子

 

 

 

 

 

 

  

牧師コラム 『エリヤは来たか』 2017年5月7日

牧師 栗原延元

キリスト教会のシンボルは十字架です。その建物の屋根か正面に十字架が掲げられていれば、そこはキリスト教会です。

十字架につけられて、イエスは三十三年に及ぶこの地上の生涯を終えました。イエスの最後の一週間を詳しく福音書は書き残しています。特にイエスが十字架につけられた日の朝から晩に至るまで、誰が何をして、どうしたかが分かります。

この中で〈三時にイエスは大声で「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。〉とマルコの福音書1534節は述べています。

イエスの生の声を聞いて、十字架のそばに立っていた幾人かが「そら、エリヤを呼んでいる」、とも「エリヤがやって来て、イエスを降ろすかどうか、見ることにしよう」と言ったのです。

当時の人々は一般に、敬虔な人が助けを必要としているときには、エリヤが助けに来てくれると信じていたのです。しかし、エリヤはやって来ませんでした。

〈それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた〉のです。

そしてイエスのからだは、岩を掘って造った墓に納められたのですが、それから三日後、イエスは墓の中から、復活したのです。

ここにイエスをキリスト(救い主)と信じる者の希望があるのです。

牧師コラム 『わたしの心だ』 2017年4月30日

牧師 高橋勝義

 私達は日々、色々な人に出会い、言葉を交わします。言葉ひとつで、楽しく会話が弾むこともあれば、不愉快な気持ちにもなります。ですから、新入社員の研修で言葉の使い方を教えるのでしょう。
 しかし、いくら言葉使いを注意しても、限界はあります。
 なぜなら、言葉には、その人の心そのものが表れ出てくるからです。
 では、どうすれば、心を良いもの(きよいもの)にすることができるのでしょうか?

 らい病人は、イエス・キリストを見ると、ひれ伏し「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」とお願いしました。(ルカ5:12)イエス様は、彼をあわれみ、手を伸ばして、彼にさわり『わたしの心だきよくなれ。』と言われました。するとすぐに、そのらい病が消えたのです。(ルカ5:13)その時、イエス様のきよい心が、らい病と彼の心を癒やしたのです。
 彼の心は、社会から隔離され、希望のない人生に打ちのめされていたのですが、病が直り、社会復帰し、希望を持って歩めるように変えられたのです。

 〔心〕がきよくされるには、まず、自分の心はきよくない(罪)と自覚することが必要です。私たちの心をきよめ、新しく生きる道を備えるために、イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりとなり、十字架で死んでくださったのです。

 心をきよくする約束として、聖書は『もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』(Ⅰヨハネ1:8,9)と語っています。

牧師コラム 『人生を変える出会い』 2017年4月23日

牧師 高橋勝義

野球選手が、「優勝して、監督を胴上げしたい」とインタビューで語る姿をテレビで見たことがあります。まさに、監督冥利に尽きることばです。

監督は、選手を思い、信頼し任せるので、選手も監督を信頼し、この監督のためならば、頑張ろうと思うのでしょう。

漁師のペテロは、一晩中働きましたが、何も取れませんでした。

そのペテロに、イエス・キリストは、『深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい』(ルカ5:4)と命じます。

さすがのペテロも驚き戸惑いますが、「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」(ルカ5:5)と言って、従ったのです。

すると、たくさんの魚がはいり、網は破けそうになったのです。

これを見たペテロは、イエス様の足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」(ルカ5:8)と言いました。

イエス様は、ペテロに『こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。』と言われると、そこにいたヤコブ・ヨハネ・ペテロの三人は、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエス様に従ったのです(ルカ5:11)

彼らにとって、イエス・キリストとの出会いは、人生を変えるものでした。

 彼らは、イエス様がすべてをご存知であり、すべてを受け入れてくださるお方であることを確信したので、このお方に人生をお任せする決断をし、従ったのです。

 あなたを愛し、あなたのありのままを受け入れ、責めることなく、共に歩んでくださるイエス様に、あなたの人生を委ね、歩みませんか?

 その時、あなたの人生は、新しく変えられたものとなるのです。

2017年4月13日 サフランの会 (第162回)

○日時:2017年 4月13日(木)

○場所:石巻福音自由教会

○参加者:15

○奉仕者: 9名 (仙台教会 7名・石巻教会 2名) 

 

予報に反して強風と雨の日となった石巻教会でのサフランの会は、外出予定をキャンセルして参加された方が与えられ、15名の方をお迎えすることが出来ました。

神様は、すべてを益としてくださいます。

教会に入られて開口一番「あったかいね。」

お客様も奉仕者もお互いが顔なじみになり、お茶を頂きながらご挨拶が始まりました。

 

皆さんは歌が大好きです。教会の賛美の「明日を守られるイエスさま」を戸惑うことなく歌われていることに少し感動しました。体操は頭と体の両方を鍛えます。はじめに後出しじゃんけんをしました。ゲーム形式のものは笑いが絶えませんが、自己判断ですので勝敗は神様だけがご存じです。新聞棒での体操も慣れて皆さん上手に体を動かします。

 

今回は仙台教会の赤羽姉の証をお聞きしました。“英会話”がきっかけで教会に来たけれど、尊敬する英会話の先生が真剣に聖書を信じていることにまず驚いたそうです。聖書全体は不思議な物語として信じる対象ではなかったけれど、神様と連絡する方法が“祈り”と教えられ、落ち込んだときに試しに祈ってみたら、心の変化に気づいたというものでした。

証では堂々と“祈り”の勧めができます。

 

 高橋先生のショートメッセージは先生ご自身のいじめを受けた時の体験談。祈りつつ、困難をおさめ生活の中で信仰が深められていったというお話でした。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。第1ペテロ57節」と「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは天地を造られた主から来る。詩篇12112節」

 

昼食準備の間、だじゃれの話で場をわかせた方は支援のはじめの頃はキリスト教に渋い態度を示されていた方でした。帰りはご近所の方を乗せて送って下さいました。感謝。

ふたつのテーブルに分かれ、美味しい昼食は打ち解けておしゃべりタイム。デーサービスから膝痛の60()以上の女子トークで盛り上がりました。

 

お土産はお茶缶とお菓子とトラクト。

愛の神様が祈りと信仰というお土産をお渡しするために、奉仕者が通りよい管となるようにぜひぜひお祈り下さい。

                         (高橋 裕子)   

                


  

 

 

      

               

牧師コラム 『見ずに信じる者は幸いです』 2017年4月16日

牧師 高橋勝義

イエス・キリストは、『見ずに信じる者は幸いです』と語りました。

この言葉を聞いた人々の中には、見ずに信じるなど、とんでもないと思う方もおられることでしょう。しかし、日常生活に目を向けてみると、私たちは、様々なことを見ずに信じて、生活していることが分かります。

たとえば、電気は見えませんが、電気が来ていると信じているので、プラグをコンセントに差し込みます。

そして、様々な電化製品の恩恵を受けて、生活しているのです。

イエス様の弟子トマスは、ほかの弟子たちが「よみがえったイエス様を見た。」と言ったのですが、三年間、寝食を共にした仲間のことばを信じられず、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘の所に差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」(ヨハネ20:25)と言いました。

しかし、イエス様は、この慎重で疑り深いトマスにも、ご自身を現されました。

トマスが、「私の主。私の神」と言った時、イエス様は、『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』と語られたのです。

死んだ者が、よみがえる…人には、とても受け入れなれないことです。

しかし、神様は、死者の中からイエス様をよみがえらせました。

イエス様の復活は、罪の贖い(償い)、救いの完成であり、主を信じる私たちも同様に、終わりの日に復活することの証しです。

 ですから、イースター(復活祭)は、キリスト教信仰のかなめなのです。

2017年3月30日 万石浦仮設支援 (第161回)

日時:2017330()
場所:渡波万石浦仮設
参加者:15
奉仕者:9名(仙台教会7名、石巻教会2名)

 

久しぶりに晴れた朝となったこの日、昨年11月以来の万石浦仮設訪問をさせていただきました。参加者は15名。ほとんどの方は仮設を出られ各地域から楽しみに集まってこられます。 

ご婦人達は集会所にすぐに入らず、しばらくの間、ご自分の生活されていたお部屋や植えていたお花を見て過ごす方もおられ、集会所の中では手を取り合って喜びのご対面です。

 

おなじみの歌と体操で心と体をほぐし、K牧師の『歴史ヒストリア 石巻発展の基礎を作った川村孫兵衛重吉』の話に耳を傾けました。川村孫兵衛は石巻の有名人で日和山にその銅像があります。

川村孫兵衛は北上川から石巻港への運河(北上川)の河川大改修や仙台城下の用水路整備、水上交通のための貞山堀の建設を行いました。その働きは新田開発につながり石高生産に貢献し、石巻港は藩の玄関口として繁栄しました。

石巻ではその偉業をたたえて毎年、夏に川開き祭りを開催しています。川村孫兵衛の生来の頭の良さに加え妻がクリスチャンであったため、外国(宣教師から)の測量知識を得ることで多くの業績をつんだのではないかとの内容でした。(K牧師曰く、諸説有りますが…とのこと)  

 

昼食は各テーブルでおしゃべりを楽しみながら頂きました。お弁当も景品もちょうどの数が準備され、神様の御手が見えた気がして感謝しました。

石巻教会からの案内に加え、どなたか紹介したいことはありませんかの問いかけに自分の暮らす復興住宅に来て欲しいと希望を出される方。仮設の会長さんは毎週火曜にお茶飲み会をしているので参加してと呼びかけられました。

万石浦仮設は110世帯で始まり14世帯になっています。来年20189月までの入居期間となり、近くの仮設では統合も進められています。まわりもご自分の生活も変わっていく時期です。復興住宅に越すけれど、もう少しここにとどまりたい気持ちがあるとお話しされた方。とてもお元気だけれど、要介護2でデーサービスに週3回通っておられると言う方。仮設の人が出て行くまでは見守りたいと言われる会長さん。

人と集い楽しい時を過ごしたいという気持ちを強く感じました。今後も細く長く続けたいと思わされました。仮設から出られても石巻教会が人々のお茶飲み場となり真の交流、慰め励ましの場となって行かれるように是非、お祈り下さい。

仮設を出るのが、寂しいと言われた方に、聖書には明日のことは明日考えるようにとありますとお伝えしました。受け止めて下さって笑顔でありがとうと言われてほっとしました。これもまた、神様の御手の働きです。 

                                                  (高橋裕子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年3月2日 バイパス東仮設支援 (第160回)

 

・日時:201722
・場所:バイパス東仮設
・参加者:14
・奉仕者:8人(仙台教会6人、石巻教会2名)

 

 三月に入った朝、春霞がかかる穏やかな空気の中、石巻井内の仮設に向かいました。

今日は最終回ということで14人全員が揃って集ってくださいました。Sさん(91才の最高齢)もずっと体調を崩して休んでおられたのですが、お元気そうに笑顔で集ってくださいました。思わず二人で手を取り合い再会を喜びました。

 

 今日のクラフトは「小物入れ」です。表はブルーの濃淡の生地を縫い合わせ、内側は同系色の小花柄の生地を使ったとてもおしゃれな八角形の「小物入れ」です。身近に置いて車の鍵や腕時計など入れて置くのもいいし、お菓子を入れてもいい・・・。みんなで出来上がりを楽しみに針を動かして行きました。

 

 チャペル・タイムは、このクラフト教室をずっと準備し、指導して下さっていた斎藤圭子さんがご自分の救いと一年前に天国に召されたお母様のことをお話くださいました。神様のなさってくださったすばらしい御業のお証しに、皆さんじっと耳を傾けて聞いてくださいました。最後にお母さんとよく歌った「主我を愛す」をみんなで大きな声で歌いました。

 

 今日は最後の教室ということで仮設の方々が昼食を用意して下さいました。ひと時、お昼を頂き、おしゃべりを楽しんだ後、「3:11希望のコンサート」のご案内をし、これからのことをお話ししました。「出来たら石巻教会でクラフト教室を続けませんか・・・?」と。すると皆さん喜んで集ってくださると約束して下さいました。そうお話した直後、自治会長さんから「私が役所と交渉しますから、あと一年ここでやったらどうですか・・・?」とお話がありました。とっさのことでちょっとびっくりしましたが、「ありがとうございます。よろしくお願いします」とお答えしました。このような展開になったことに感謝して、神様の御業を崇めました。

 

 というわけで、仮設が完全に閉じる来年3月まで、同じ仮設の集会所をお借りしてクラフト教室を続けることになりました。大震災7年目に入るこのときまで、仮設での働きを守り導いてくださり、また御言葉を伝える機会をお与えくださった神様に、そしていつも祈り続けご支援下さっている全国の教会の兄姉に心から感謝致します。

 

                                                   (吉田真知子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牧師コラム 『あなたこそ神の子です』 2017年4月9日

牧師 高橋勝義

人は、相手によって、表面的に付き合う、干渉されない程度に付き合う、深く関わりたいので積極的に付き合う、といった具合に付き合い方や距離感を変えます。

さて、あなたと神の子イエス・キリストとの関係はどうでしょうか?

イエスという名は、御使いがヨセフに「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)と告げられたところから来ています。

その名前の意味は、『主は救い』です。

悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と大声で叫びました。(ルカ4:41)

イエス様の十二弟子のひとりであるヨハネは、イエス様と私たちの関わりについて、『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。』(Ⅰヨハネ4:10)と書き記しています。

イエス・キリストは、あなたを愛するゆえに、あなたの罪の贖いのために、十字架で死なれました。神様の方からあなたと深く関わりたい、積極的にあなたと付き合いたいと呼びかけておられます。

ですから、その神様の呼びかけに答えて、今度は、あなたが、イエス様に近づき、積極的に関りを持つ番です。