牧師コラム 『エリヤは来たか』 2017年5月7日

牧師 栗原延元

キリスト教会のシンボルは十字架です。その建物の屋根か正面に十字架が掲げられていれば、そこはキリスト教会です。

十字架につけられて、イエスは三十三年に及ぶこの地上の生涯を終えました。イエスの最後の一週間を詳しく福音書は書き残しています。特にイエスが十字架につけられた日の朝から晩に至るまで、誰が何をして、どうしたかが分かります。

この中で〈三時にイエスは大声で「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。〉とマルコの福音書1534節は述べています。

イエスの生の声を聞いて、十字架のそばに立っていた幾人かが「そら、エリヤを呼んでいる」、とも「エリヤがやって来て、イエスを降ろすかどうか、見ることにしよう」と言ったのです。

当時の人々は一般に、敬虔な人が助けを必要としているときには、エリヤが助けに来てくれると信じていたのです。しかし、エリヤはやって来ませんでした。

〈それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた〉のです。

そしてイエスのからだは、岩を掘って造った墓に納められたのですが、それから三日後、イエスは墓の中から、復活したのです。

ここにイエスをキリスト(救い主)と信じる者の希望があるのです。