牧師 高橋勝義 |
私達は日々、色々な人に出会い、言葉を交わします。言葉ひとつで、楽しく会話が弾むこともあれば、不愉快な気持ちにもなります。ですから、新入社員の研修で言葉の使い方を教えるのでしょう。
しかし、いくら言葉使いを注意しても、限界はあります。
なぜなら、言葉には、その人の心そのものが表れ出てくるからです。
では、どうすれば、心を良いもの(きよいもの)にすることができるのでしょうか?
らい病人は、イエス・キリストを見ると、ひれ伏し「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」とお願いしました。(ルカ5:12)イエス様は、彼をあわれみ、手を伸ばして、彼にさわり『わたしの心だ。きよくなれ。』と言われました。するとすぐに、そのらい病が消えたのです。(ルカ5:13)その時、イエス様のきよい心が、らい病と彼の心を癒やしたのです。
彼の心は、社会から隔離され、希望のない人生に打ちのめされていたのですが、病が直り、社会復帰し、希望を持って歩めるように変えられたのです。
〔心〕がきよくされるには、まず、自分の心はきよくない(罪)と自覚することが必要です。私たちの心をきよめ、新しく生きる道を備えるために、イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりとなり、十字架で死んでくださったのです。
心をきよくする約束として、聖書は『もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』(Ⅰヨハネ1:8,9)と語っています。