牧師コラム 『見ずに信じる者は幸いです』 2017年4月16日

牧師 高橋勝義

イエス・キリストは、『見ずに信じる者は幸いです』と語りました。

この言葉を聞いた人々の中には、見ずに信じるなど、とんでもないと思う方もおられることでしょう。しかし、日常生活に目を向けてみると、私たちは、様々なことを見ずに信じて、生活していることが分かります。

たとえば、電気は見えませんが、電気が来ていると信じているので、プラグをコンセントに差し込みます。

そして、様々な電化製品の恩恵を受けて、生活しているのです。

イエス様の弟子トマスは、ほかの弟子たちが「よみがえったイエス様を見た。」と言ったのですが、三年間、寝食を共にした仲間のことばを信じられず、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘の所に差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」(ヨハネ20:25)と言いました。

しかし、イエス様は、この慎重で疑り深いトマスにも、ご自身を現されました。

トマスが、「私の主。私の神」と言った時、イエス様は、『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』と語られたのです。

死んだ者が、よみがえる…人には、とても受け入れなれないことです。

しかし、神様は、死者の中からイエス様をよみがえらせました。

イエス様の復活は、罪の贖い(償い)、救いの完成であり、主を信じる私たちも同様に、終わりの日に復活することの証しです。

 ですから、イースター(復活祭)は、キリスト教信仰のかなめなのです。