2017年5月25日 サフランの会 第165回

〇日時:2017525

〇場所:石巻福音自由教会

〇参加者 9

〇奉仕者 仙台EFC4名、石巻EFC 2名)

〇プログラム

・歌(幸せなら手をたたこう・上を向いて歩こう・四季の歌・明日を守られるイエス様)

・脳トレ手遊びと楽しい体操

 ・証し:赤羽姉

 ・ショ-トメッセ-ジ:高橋師

・会食とお交わり

 

 

朝から小雨の天気でしたが、皆さん笑顔でお迎えを待っていてくださいました。

今回は震災後の大変な時を万石浦仮設で共に過ごされた方々を教会にお招きするサフランの会でした。ほとんどの方が復興住宅や再建した自宅に引っ越されています。遠くに引っ越されて来ることが出来なかった方もおられます。でも、顔を合わせると欠席者の消息やデ-サ-ビ情報、健康情報等話は尽きません。また、皆さんカラオケが大好きなので、歌の時間は大きな声で歌われます。

いつものように「いい声は口角を上げて笑顔で!」のアドバイスに笑顔、笑顔…昔馴染みの曲目の中に入れてある「明日を守られるイエス様」の賛美も大合唱です。🎶 明日はどんな日か私は知らない。晴れか嵐か曇りになるか、私は明日を心配しない。イエスが私を守られるから明日は私にはわからないけど明日を守られるイエスがおられる🎶 この賛美を歌われるみなさんがイエス様の守りとやすらぎを得られますように、と祈らずにはおられません。

証しは赤羽姉、いつも支援活動やコンサ-トの司会などで身近な存在の姉の話に皆さん心を開いて聞いておられました。聖書の話は「ルカ15:46いなくなった1匹の羊」でした。私たちは迷子の子羊、イエス様は今も捜し続けておられます。

いつものように楽しい昼食はおしゃべりと食事を頂くのとで口も手も大忙しです。

最後に全員で記念写真撮影をしてお開きとなりました。

この石巻宣教の為に絶えず祈り、支えて下さる全国の教会の皆様に心からの感謝を申し上げます。栄光が神様にありますように。

 

                           (高橋明美)

 

   

2017年5月18日 バイパス東仮設支援 第164回

日 時:2017518()

場 所:バイパス東仮設

参加者:12

奉仕者:仙台教会5名、石巻教会1名

 

  新緑が目にもまぶしい三陸道を一路石巻へ。仮設の集会所には、参加者の方々が、早々、集って来てくださっていました。ほとんどの方は、女川に引っ越しを終え、車に乗り合せて来てくださったのです。また、「みんなにお世話になるのが心苦しいので、もう教室は止める」と言われていたSさんも来てくださっていました。久しぶりの再会に、思わずハグして喜び合いました。90才を過ぎ、一人暮らしであるSさんを、皆さんが心配して声をかけ、連れて来てくださったのでした。

 今日のクラフトは、「布で作るスズラン」。花の1個1個が、とても小さいので、苦労されていましたが、いつも通り楽しくおしゃべりしながら、針を進めて行きました。まっ白な小さな花をつけたスズランが1本出来上がりました。ガラスの花瓶も用意されていましたので、お家に帰っても季節を楽しんで頂けそうです。

 チャペル・タイムでは、母の日にちなんで、めぐみさんの母「横田早紀江さん」の信仰から学びました。横田さんは、祈りつつ、40年もずっと娘のめぐみさんが帰って来るのを待っています。神様もまた私たちが帰って来ることを、ずっと待っていてくださいます。神様の所に帰るとは、「正直に自分の気持ちを注ぎ出して祈ることです」とお話しました。

 チャペル・タイムの後、Sさんは「みことば」を指さして「時々、家で、これ読んでるよ」と言ってくださいました。みことばが心にとどまり、神様が信仰の実を結んでくださいますように。

  「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」         (イザヤ4915

 

 教会の庭に咲いていたスズランの花をつんで、お土産に差し上げました。

 神様の愛が、お一人お一人の心に届きますように。

今日もこのように、支援活動を続けさせていただけたことを感謝して。

                            吉田真知子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

牧師コラム 『新たなる歩みへ』 2017年5月28日

牧師 高橋勝義

 石巻出身の漫画家、石ノ森章太郎の代表作に「仮面ライダー」があります。
 主人公は、敵を前にすると変身し、悪をやっつけるという物語です。
 ところで、あなたも、全く新しい自分に変わりたいと思ったことはありませんか?
 イエス・キリストは、『新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません(ルカ5:38)』と語りました。新しいぶどう酒は、皮袋の中でも発酵し続けます。
 新しい皮袋は、皮に柔軟性があるので、ぶどう酒が発酵して膨らんでも、耐えることが出来ますが、古い皮袋は裂けてしまいます。
 この新しいぶどう酒とは、《福音》を意味しています。
 福音とは、イエス・キリストが、私たちの【罪】の全てを負い、身代わりとなって十字架で死なれたこと。
 そして、それを信じる時、罪赦され、永遠のいのちが与えられるという良き知らせのことです。
 この良き知らせ(福音)を受け取る時、イエス・キリストのよみがえりのいのち、即ち、新しいいのちを頂いて、あなたは〔新しい歩みへ〕と踏み出すのです。
 新しい皮袋とは、〈新しい心〉のことです。
 私たちは、自分中心で生きてきたので、神から離れて生きることが【罪】であることを知らず、認めることができません。
 けれども、聖霊が私たちの内に働かれる時、私たちの心に【罪】を教え、誤りに気付かせ、〈新しい心〉にさせるのです。
 新しい心が、福音を受け入れ、真の神への信仰があなたの中で育つのです。

 聖書は、『誰でもキリストの内にあるならその人は新しく造られた者です古いものは過ぎ去って見よすべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)』と語ります。

 これは、神の約束です。外見が変わるのではなく、イエス・キリストの新しいいのちによって、心が一新され、内側から変えられて、新たなる歩みが始まるのです。

牧師コラム 『招かれた客』  2017年5月21日

牧師 高橋勝義

子どもは、家にお客様が来るのを楽しみにしています。なぜなら、お土産の楽しみがあるからです。しかし、必ずしも、良いお客ばかりではありません。

イエス・キリストは、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです』(ルカ5:32)と語りました。
 誰を招いているかは、明らかです。自分は正しいと自負している人ではなく、自分を罪人であることを認めている人です。

【罪】とは、何でしょうか?

【罪】とは、神から離れ、自分中心に生きることです。
 
その結果、人は、自分の肉(自分中心)の欲の中に生き、肉と心の望むままを行う歩みを続けています。このような歩みは、創造主の神から御怒りを受ける〕のです。

ですから、イエス・キリストは、『罪人を招いて、悔い改めさせるために来た』と語るのです。なぜなら、神の御怒りからあなたを救うために、この世に来られからです。

それ故、イエス様は、この招きを受け入れるかどうか、あなたに問いかけています。

イエス様の招きに応じるには、【自分が罪人である】ことを認めることです。自分が、【罪人】であることを認めなければ、悔い改めはできません。

その【悔い改め】とは、「神様、ごめんなさい。私は今まで神から離れ、自分勝手な歩みをしていましたが、これからは、神に従って生きます。」と自分の意志で決断し、自分中心の生き方から神中心の生き方に方向転換することです。この方向転換が、神の御怒り〕からあなたを救うのです。

それだけではありません。
 
あなたは、永遠のいのちを得て、イエス・キリストの復活のいのち、即ち、新しいいのちを頂き、新たな歩みへと踏み出すのです。

牧師コラム 『病と罪の赦し』 2017年5月14日

牧師 高橋勝義

 心の苦しみをどう解決するか?苦しみの原因のほとんどが、〈憎しみ〉や〈怒り〉から来ています。そこで、安らかな気持ちで生きるには、その相手を赦すことが必要になってきます。しかし、赦すことは、容易ではありません。

 ところで、聖書は、【罪】が〈憎しみ〉や〈怒り〉の原因であると語っています。

 病が直ったとしても、〈憎しみ〉と〈怒り〉を抱えたままでは、心の苦しみは解決されません。ですから、イエス・キリストは、中風の人に「中風が直りました」とは言わず、『友よ。あなたの罪は赦されました。』(ルカ5:20)と宣言したのです。

 イエス・キリストは、〈憎しみ〉や〈怒り〉の原因である罪を取り除くために、私たちの身代わりとなって下さり、十字架で死なれました。この十字架が、創造主である神と私たちの和解をもたらしたのです。つまり、神は、私たちを赦されたのです。
  この赦しを心から受け取る時、私たちの心が神の愛に包まれ、赦されることの幸いを味わい知るのです。この経験が、〈憎しみ〉と〈怒り〉から私たちを解放してくれます。

 人は、本当に愛された時、愛が分かり、人を愛することが出来るようになります。

 同様に、赦されることの素晴らしさを味わう時、『お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい(エペソ4:32)』の御言葉のように人を赦すことが出来る者に変えられるのです。

2017年4月20日 バイパス東仮設支援 第163回

日 時:2017年4月20日(木)

場 所:バイパス東仮設

参加者:9名

    奉仕者:仙台教会7名、石巻教会1名

 

 仙台にも桜の開花宣言が伝えられ、待ちに待った春の季節がやって来ました。

 今回は、大阪から参加してくださった男性のHさんも一緒に同乗してくださいました。もう何回も支援活動に当たってくださっていますが、このクラフト教室は初めてです。ご自分で作られた「小女子の佃煮」を持って来てくださいました。昨年の春から山椒の実を収穫し、塩漬けにして一年がかりで作るのだと仰ってました。手渡された参加者の方々も、その暖かいお気持ちにとても励まされたことと思います。

 

 今回のクラフトは、「バッグ イン バッグ」です。バッグの中の小物をすっきりとまとめて整理するのにぴったりのものです。皆さん、忙しく針を動かしながら、新しい家での生活についての話題は尽きません。また引っ越した後、体調を崩した方もおられました。「家にいてもかえってよくないので頑張って出てきました。教室があって本当によかった。」と。年を重ねてからの新しい生活はどんなにしんどいことかとお話を伺いながら思ったことでした。

 

 チャペル・タイムでは、カラフルにラッピングしたゆで卵をお渡しして「イースター(復活祭)」についてお話させていただきました。誰でも、甦ったイエス様を信じる者には、新しい命が与えられ罪の赦しと神の力が注がれます。私たちが縛られてきた妬みや裁き、プライド、赦せない心がいつのまにか消え、やさしい愛の心が生まれます。ぜひ新しい命に生きる道を知ってほしい、甦ったイエス様を信じて前に向かって生きる力を頂いてほしいと願いながらお話させていただきました。皆さん、真剣に耳を傾けてくださいました。そして「主は今生きておられる」を賛美しました。初めてとは思えない力強い賛美となりました。

 

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。」                   ヨハネ11:25   

                               

 いつもお祈りくださり、お捧げくださる諸教会の兄弟姉妹に心から感謝致します。

                           吉田真知子

 

 

 

 

 

 

  

牧師コラム 『エリヤは来たか』 2017年5月7日

牧師 栗原延元

キリスト教会のシンボルは十字架です。その建物の屋根か正面に十字架が掲げられていれば、そこはキリスト教会です。

十字架につけられて、イエスは三十三年に及ぶこの地上の生涯を終えました。イエスの最後の一週間を詳しく福音書は書き残しています。特にイエスが十字架につけられた日の朝から晩に至るまで、誰が何をして、どうしたかが分かります。

この中で〈三時にイエスは大声で「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。〉とマルコの福音書1534節は述べています。

イエスの生の声を聞いて、十字架のそばに立っていた幾人かが「そら、エリヤを呼んでいる」、とも「エリヤがやって来て、イエスを降ろすかどうか、見ることにしよう」と言ったのです。

当時の人々は一般に、敬虔な人が助けを必要としているときには、エリヤが助けに来てくれると信じていたのです。しかし、エリヤはやって来ませんでした。

〈それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた〉のです。

そしてイエスのからだは、岩を掘って造った墓に納められたのですが、それから三日後、イエスは墓の中から、復活したのです。

ここにイエスをキリスト(救い主)と信じる者の希望があるのです。

牧師コラム 『わたしの心だ』 2017年4月30日

牧師 高橋勝義

 私達は日々、色々な人に出会い、言葉を交わします。言葉ひとつで、楽しく会話が弾むこともあれば、不愉快な気持ちにもなります。ですから、新入社員の研修で言葉の使い方を教えるのでしょう。
 しかし、いくら言葉使いを注意しても、限界はあります。
 なぜなら、言葉には、その人の心そのものが表れ出てくるからです。
 では、どうすれば、心を良いもの(きよいもの)にすることができるのでしょうか?

 らい病人は、イエス・キリストを見ると、ひれ伏し「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」とお願いしました。(ルカ5:12)イエス様は、彼をあわれみ、手を伸ばして、彼にさわり『わたしの心だきよくなれ。』と言われました。するとすぐに、そのらい病が消えたのです。(ルカ5:13)その時、イエス様のきよい心が、らい病と彼の心を癒やしたのです。
 彼の心は、社会から隔離され、希望のない人生に打ちのめされていたのですが、病が直り、社会復帰し、希望を持って歩めるように変えられたのです。

 〔心〕がきよくされるには、まず、自分の心はきよくない(罪)と自覚することが必要です。私たちの心をきよめ、新しく生きる道を備えるために、イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりとなり、十字架で死んでくださったのです。

 心をきよくする約束として、聖書は『もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』(Ⅰヨハネ1:8,9)と語っています。

牧師コラム 『人生を変える出会い』 2017年4月23日

牧師 高橋勝義

野球選手が、「優勝して、監督を胴上げしたい」とインタビューで語る姿をテレビで見たことがあります。まさに、監督冥利に尽きることばです。

監督は、選手を思い、信頼し任せるので、選手も監督を信頼し、この監督のためならば、頑張ろうと思うのでしょう。

漁師のペテロは、一晩中働きましたが、何も取れませんでした。

そのペテロに、イエス・キリストは、『深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい』(ルカ5:4)と命じます。

さすがのペテロも驚き戸惑いますが、「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」(ルカ5:5)と言って、従ったのです。

すると、たくさんの魚がはいり、網は破けそうになったのです。

これを見たペテロは、イエス様の足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」(ルカ5:8)と言いました。

イエス様は、ペテロに『こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。』と言われると、そこにいたヤコブ・ヨハネ・ペテロの三人は、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエス様に従ったのです(ルカ5:11)

彼らにとって、イエス・キリストとの出会いは、人生を変えるものでした。

 彼らは、イエス様がすべてをご存知であり、すべてを受け入れてくださるお方であることを確信したので、このお方に人生をお任せする決断をし、従ったのです。

 あなたを愛し、あなたのありのままを受け入れ、責めることなく、共に歩んでくださるイエス様に、あなたの人生を委ね、歩みませんか?

 その時、あなたの人生は、新しく変えられたものとなるのです。

2017年4月13日 サフランの会 (第162回)

○日時:2017年 4月13日(木)

○場所:石巻福音自由教会

○参加者:15

○奉仕者: 9名 (仙台教会 7名・石巻教会 2名) 

 

予報に反して強風と雨の日となった石巻教会でのサフランの会は、外出予定をキャンセルして参加された方が与えられ、15名の方をお迎えすることが出来ました。

神様は、すべてを益としてくださいます。

教会に入られて開口一番「あったかいね。」

お客様も奉仕者もお互いが顔なじみになり、お茶を頂きながらご挨拶が始まりました。

 

皆さんは歌が大好きです。教会の賛美の「明日を守られるイエスさま」を戸惑うことなく歌われていることに少し感動しました。体操は頭と体の両方を鍛えます。はじめに後出しじゃんけんをしました。ゲーム形式のものは笑いが絶えませんが、自己判断ですので勝敗は神様だけがご存じです。新聞棒での体操も慣れて皆さん上手に体を動かします。

 

今回は仙台教会の赤羽姉の証をお聞きしました。“英会話”がきっかけで教会に来たけれど、尊敬する英会話の先生が真剣に聖書を信じていることにまず驚いたそうです。聖書全体は不思議な物語として信じる対象ではなかったけれど、神様と連絡する方法が“祈り”と教えられ、落ち込んだときに試しに祈ってみたら、心の変化に気づいたというものでした。

証では堂々と“祈り”の勧めができます。

 

 高橋先生のショートメッセージは先生ご自身のいじめを受けた時の体験談。祈りつつ、困難をおさめ生活の中で信仰が深められていったというお話でした。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。第1ペテロ57節」と「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは天地を造られた主から来る。詩篇12112節」

 

昼食準備の間、だじゃれの話で場をわかせた方は支援のはじめの頃はキリスト教に渋い態度を示されていた方でした。帰りはご近所の方を乗せて送って下さいました。感謝。

ふたつのテーブルに分かれ、美味しい昼食は打ち解けておしゃべりタイム。デーサービスから膝痛の60()以上の女子トークで盛り上がりました。

 

お土産はお茶缶とお菓子とトラクト。

愛の神様が祈りと信仰というお土産をお渡しするために、奉仕者が通りよい管となるようにぜひぜひお祈り下さい。

                         (高橋 裕子)