牧師コラム 『本当の幸い』 2017年6月25日

牧師 高橋勝義

 

すべての人は、「幸い」を求めています。災いを願う人はいないでしょう。

聖書は『貧しい者、今飢え乾いている者、今泣いている者は、幸いである(ルカ6:20,21)』というのですが、なぜ、「幸い」なのでしょうか…。

貧しい者・今飢え乾いている者・今泣いている者とは、自分の弱さや足りなさに心を痛めている人のことです。

自己憐憫に陥って、自分を嘆いている人のことではありません。

弱さや足りなさとは、まことの神に対する信仰の足りなさ、また、神に従って歩めない自分に、葛藤し、もがき苦しみ、救いを求めている人のことです。

自分には望みがないと知っている人に対して、神は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』(Ⅱコリント12:9)と語っています。

白旗を挙げている人は、神にすべてをゆだねることができるので、〔神の力〕がその人の内に働くからです。

更に、聖書は『富んでいるあなた、今食べ飽きているあなた、今笑っているあなたは、「哀れな者」である(ルカ6:24,25)』と語っています。

なぜ、「哀れな者」なのでしょうか…。

それは、富んでいる・今食べ飽きている・今笑っている人は、自分の力がすべてであると思い、心が傲慢になり、人からの助けや忠告を聞こうとしないからです。

『私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。』(ヘブル4:15)
 
本当の幸いとは、あなたの弱さをありのまま受け入れてくださるお方、即ち、イエス・キリストを信頼し、すべてをゆだね、従って歩む人のことなのです。