・日時:2020年11月19日(木)
・参加者:14名
・奉仕者:仙台教会7名、石巻教会1名
・製作:「マスクポーチ」
・チャペルタイム
「 息子と私」
賛美:「 明日を守られるイエス様 」
聖書:「 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。テサロニケ人への手紙第Ⅰ 5:16~18 )」
牧師 高橋勝義![]() |
ゲラルの地を離れたイサクは井戸をめぐる争いも一段落し、平穏な日々を送っていました。そこに突然ゲラルの王アビメレクが、友人アフザテと軍の長ピコルを伴いやって来たのです。驚いたイサクは、今なぜ追い出した自分の所に、王がやって来たのかと尋ねます。
すると思いもよらない、答えが返ってきました。それは「互いに相手に手出しせず、害を加えない」という盟約をイサクと結びたい、というものでした。なぜなら、「私たちは、主があなたとともにおられることを確かに見たからだ」(創世記26:28)と言うのです。というのも、アビメレク王たちは、イサクがゲラルの地で収穫が百倍にもなる神の祝福を得ていたこと、更に今この新しい地でも神に祝福されている姿を見て恐れを抱いたからです。
両者は互いに誓いを交わし、王たちは平和のうちに帰途につきました。
クリスマスは神のひとり子イエス・キリストがこの世に来て下さった喜びの時です。
聖書には、キリストは処女より生まれること、そして『インマヌエル』(訳すと『神は私たちとともにおられる』という意味です)と呼ばれることが預言されていました。
このお方がイサクとともにおられ、彼を祝福し続けたように、あなたを祝福するために、人となってこの世に来られたのです。このお方イエス・キリストが「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)」と、今日もあなたを招いておられます。
この招きとは、イエス・キリストを罪からの救い主と信じることです。その時、あなたの心にイエス・キリストが入ってくださり、祝福の扉が開かれるのです。
牧師 高橋勝義![]() |
飢饉を逃れてゲラルの地に移り住んだイサクは、人を恐れて妻リベカを「私の妹です」と偽ります。ところが、神はこのような過ちにもかかわらず、彼を守り、祝福してくださいました。しかし、豊かさと力を増していくイサクをゲラルの人々は妬み、ついには彼を追い出します。そればかりか井戸をめぐって次々と言いがかりをつけ、彼は争いに巻き込まれます。
イサクは争いを避け、場所を移して井戸を掘り続け、ようやく平和な場所にたどりつきました。そして「今や、主は私たちに広い所を与えて、この地で私たちが増えるようにしてくださった(創世26:22)」と神に感謝したのです。そこからベエル・シェバに上ったその夜、主はイサクに現れ「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」(創世記26:24)と語られました。
イサクの困難な状況を顧みられた神は、父アブラハムへの祝福の約束(契約)は確実にイサクに引き継がれている、と語ってくださったのです。想定外の自然災害や未知のウイルスなどが次々と押し寄せる不確実な今の時代の中で、私たちの心は揺れ動きます。災難や困難が続く時、人は不安や恐れに支配されて将来に期待や希望が持てなくなってしまうからです。
しかし「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ41:10) 」と約束してくださる神様が、そのひとり子であり、救い主であるイエス・キリストを私たちの所に送ってくださいました。
それがクリスマスなのです。
牧師 栗原延元
今年の石巻教会の暗唱聖句のテーマは、「みことばに生きる」です。このみことばとは、どなたのことばであるかと言いますと、天地を造られた神のことばです。それは、神の御子イエス・キリストのことばです。
このイエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と明言し、どんなに衣食が充たされていたとしても、人は幸せにはならないと宣言します。そして、人の心に本当の幸せをもたらすものが神のことばであると語るのです。
今日の聖書の個所は、イエスの12弟子のひとりペテロが実感をこめて書いている句です。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋なみことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(Ⅰペテロ2章2節)
この箇所を、じっくりと学びたいと思っています。
牧師 高橋勝義![]() |
私たちはこの半年、信仰の父アブラハムの歩みを通して、まことの主なる神様について学んできました。聖書は、アブラハムの175年の生涯を「アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた。」(創世記25:8)と記しています。
しかし聖書の語る「幸せな人生」とは、決して「問題のない平穏無事な日々を過ごす」という意味ではありません。
事実、アブラハムの人生も戦い、失敗、試練、葛藤、の連続でした。
神はご自分の召しに立ち上がり信仰のうぶ声をあげたアブラハムを、赤ん坊を育てるようにいつくしみ、愛し、育てられました。信仰の道をよちよちと歩き始めた彼の失敗を叱るどころか、かえって祝福を豊かに注がれたのです。それは「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。(創世記12:2)」と神ご自身が約束された契約のゆえでもありました。子どもがなかなか与えられない葛藤の日々にあっても「あなたから生まれ出て来る者があなたの後を継ぐ」との約束をくださり、励まし続けてくださいました。
こうして育まれたアブラハムの神への信仰は、待望の子イサクを全焼のいけにえとしてささげるように命じられた最大の試練の時に、疑うことなく、神を信頼し、神に期待し従うという姿で表されたのです。
私たちもまた、キリストによる罪の贖いを信じることにより、神の民、アブラハムの子孫とされました。
「まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6)
牧師 高橋勝義![]() |
イサクの時代にも父アブラハムの時代と同様にカナンの地に飢饉が起こりました。
イサクが食物を求めてゲラルまで行くと、主は彼に現れ「エジプトへは下ってはならない。わたしがあなたに告げる地に住みなさい~ わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。~ あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす。」(創世記26:2,3)と語ってくださいました。こうしてイサクは、神の命令に従いゲラルに住みます。
ところがその土地の人々に妻のことを尋ねられると、「あれは私の妹です」と答えてしまいました。人々が美しいリベカのことで自分を殺すのではないかと恐れたためです。しかし神様はリベカがイサクの妻であることを、ペリシテ人の王アビメレクに見せたので、王はイサクに問いただし、ただちにすべての民に「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される」(創世記26:11)と命じました。
父アブラハムと同じ過ちを犯したにもかかわらず、難を逃れその地に住んだイサクは、その年に百倍の収穫を見たのです。それは主がアブラハムに誓った誓いは決して変わることがないからでした。しかし、ますます栄え、豊かになっていくイサクをペリシテ人はねたみ、父アブラハムの時代に掘られた井戸はすべてふさがれてしまいました。さらに、ゲラルの王は自分たちよりも強くなっていく彼を追い出してしまいます。
イサクに現わされる主なる神の祝福に圧倒され、彼を恐れたのです。
イサクを祝福された神は、イエス・キリストを信じたあなたを祝福してくださいます。「信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受ける(ガラテヤ3:9)」と聖書は約束しているからです。
牧師 高橋勝義![]() |
アブラハムの息子イサクは神の導きによってリベカと結婚しますが彼女も母サラと同様不妊の女でした。イサクは自分の妻のために忍耐強く主に祈り、その祈りは聞かれ、リベカは身ごもったのです。
ところが、彼女の腹の中では子どもたちがぶつかり合うようになり、不安を覚えたリベカは主のみこころを求めました。すると主は「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25:23)と答えられたのです。月日が満ち、最初に出て来た子は、 赤くて、全身毛衣のようでした。彼らはその子をエサウと名づけます。その後で弟が出て来ましたが、その手はエサウのかかとをつかんでいたので、ヤコブと名づけられました。
エサウは巧みな狩人で野の人、ヤコブは穏やかな人で天幕に住む人となりました。しかし猟の獲物を好む父イサクはエサウを愛し、母リベカはヤコブを愛している、という家族の歪みも起きてきました。
ある日ヤコブが煮物を煮ていると、野から疲れきって帰宅したエサウがその煮物を求めてきました。すかさずヤコブは、「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください」と言ったのです。空腹のエサウはヤコブの申し出を受け入れ、煮物と引き換えに自分の長子の権利をヤコブに売りました。
聖書は、「こうしてエサウは長子の権利を侮った(創世記25:34)」と記しています。長子は家の財産をすべて相続すると同時に、神がアブラハムに与えた約束と祝福を受け継ぐことをも意味します。
目の前のことにしか関心がなかったエサウは、神が与えようとしている霊的祝福を失うことになってしまいました。
「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです」(マタ6:21)
牧師 高橋勝義![]() |
アブラハムは、自分の全財産をイサクに与えました。そして側女たちの子には贈り物を与え、自分が生きている間に、彼らを東の方、東方の国に行かせて、自分の子イサクから遠ざけたのです。アブラハムは、幸せな晩年を過ごし、満ち足りた百七十五年の生涯を閉じ、自分の民に加えられました。その息子イサクとイシュマエルは、父アブラハムをイサクの母サラが葬られているマムレに面するマクペラの洞穴に葬りました。(創世記25:5~10)
イシュマエルはサラの女奴隷、エジプト人ハガルがアブラハムに産んだ子でしたが、神は「わたしはあの子を大いなる国民とする(創世記21:18)」と約束された通り、彼にも12人のこどもを与え、やがてそれぞれが氏族の族長となっていきます。
そのイシュマエルも百三十七年でその生涯を終え、自分の民に加えられました。
アブラハムの死後、神はその子イサクを祝福され、イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みます(創世記25:11)。
イサクにとって、父アブラハムと過ごした75年の中でも特に、モリヤの山での出来事は、決して忘れることのできない経験だったことでしょう。父アブラハムの神を畏れ、神に聞き従う純粋な信仰と、その父に対する神の真実、愛と恵みが、心に深く刻まれたからです。イサクにとって、神を畏れ、どんな時にもまず礼拝する父の姿は、これから自分が一族の長として歩む大切な指針であると再認識させられたのです。
「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。」(イザヤ57:15)