牧師 高橋勝義 |
イサクがヤコブを祝福し終わり父の前から出て行くとすぐに、兄エサウが猟から戻り、「お父さん。起きて、息子の獲物を召し上がってください。あなた自ら、私を祝福してくださるために。」(創世記27:31)と、やって来ました。
事の次第を悟った父イサクでしたが、すでに弟ヤコブを祝福したあとでした。すべては神のご支配の中にあるのです。「彼(ヤコブ)は必ず祝福されるだろう」(創世記27:33)と父は語り、エサウは声の限りに激しく泣き叫び、「お父さん、私を祝福してください。私も。」(創世記27:34)とすがったのです。しかし、時すでに遅し。父は、「おまえは自分の剣によって生き、自分の弟に仕えることになる。」(創世記27:40)と兄に語ります。これは母リベカが、ぶつかり合う胎児のために主のみこころを求めたときに「一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える」(創世記25:23)と語られた主のみこころ、神の主権のあらわれでありました。また神ご自身を軽んじたエサウの歩みの結果が明らかにされたのです。
このエサウの姿は、まことの神から離れて歩む私たちの姿そのものです。それゆえ、神は私たちに「あなたは、あなたの神、主だけが神であることをよく知らなければならない。主は信頼すべき神であり、ご自分を愛し、ご自分の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる。(申命記7:9)」と語っておられます。しかし、神のご命令を守ることなど到底出来ない私たちです。この私たちに恵みの契約を備えられたのがイエス・キリストの十字架なのです。
ですから、キリストはどの道を選ぶのかをあなたに問いかけています。「世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。(Ⅰヨハネ2:17)」