今日のメッセージ 『心の点検』 2024年1月21日

 牧師 高橋勝義

〔レビ3章1~17節〕

 人と人との関係が良好でなければ、自由で楽しい交わりはできません。ましてや、罪深い人間が聖なる神と交わるには、どうすればよいのでしょうか。

 そこで神は罪の贖いのための交わりのいけにえを献げ、さらに主への食物のささげ物として、その脂肪を献げるように定められました。全焼のささげ物と同様に、ささげ物の頭に手を置き、会見の天幕の入り口で屠り、祭司であるアロンの子らがその血を祭壇の側面に振りかけます。そして、これをどこに住んでいても代々守るべき永遠の掟とされたのです。

 ところで、人と人との交わりが、豊かになるためには何が必要でしょうか?

 イエス様は、神殿の祭壇に交わりのささげ物を献げようとしている時、人に恨まれていることを思い出したなら、まず相手と仲直りをしてから交わりのささげ物を献げなさい、牢に投げ込まれてからでは間に合いません、あなたを訴える人と一刻も早く和解をしなさい、と勧めています(マタイ5:23~26)。交わりのささげ物をする時、つまり、私たちが神の前に出る時には、まず静まって、心の点検をするように促されたのです。

 私たちにはイエス様の十字架のゆえに、動物による交わりのささげ物は必要ありません。イエス様が、御自身の十字架によって私たちを神と和解させてくださったからです(エペソ2:16)。そして、この神との和解が、人と人との交わりを豊かにするのです。イエス様の愛を知ることが(Ⅰヨハネ4:10)、自分の罪の赦しを知り、自らの心の点検になるのです。神との和解こそが、自分の罪深さを知り、私たちを謙遜な者へと導き(ピリピ2:3)、私たちの交わりを豊かにする鍵なのです。

 あなたは、この鍵を握っておられますか。

今日のメッセージ 『神の豊かな恵みの中で』 2024年1月14日

 高橋勝義

〔レビ2章1~16節〕

 創造主なる神はこの世界を造られ、私たちは神が造られたすべてのものから豊かな恵みを頂いて日々の生活を送っています。イエス様が「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。(マタイ6:26)」と言われたとおり、これは神からの賜物(プレゼント)なのです。

 このレビ記2章に記されている穀物のささげ物は、神の恵みへの感謝の表われです。穀物のささげ物は、祭司アロンとその子らのもとに持って行き、祭壇で焼かれ、神にささげられました。それは、神への芳ばしい香りとなり、神はそれを喜んでくださいました。その残りは、アロンとその子らのものとなり、それは主への食物のささげ物のうちの、最も聖なるものとされました。穀物のささげものは腐敗を防ぐ塩で味をつけるように命じられましたが、これは神の契約が永遠に変わらず保たれることを現わしているのです。

 「父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイ5:45)」とあるように、神は公平なお方です。この恵みによって、「主が良いものを下さるので私たちの大地は産物を産み出すのです(詩篇85:12)」。神は「あなたは、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前で礼拝しなければならない」(申命記26:10)と命じておられますが、私たちはこのような恵みを与えてくださる神に心から感謝し、喜びをもってささげ物をささげ、神を礼拝しているでしょうか。

 聖書が「世界とそれに満ちるものはわたしのものだ(詩篇50:12)」と語っているように、私たちは神の豊かな恵みの中で生かされているのです。

今日のメッセージ 『真の礼拝者』 2023年1月7日

 牧師 高橋勝義

〔レビ記1章1~17節〕

 エジプトからイスラエルの民を救い出した神は、シナイ山でさとしの板に神の民としての歩みを記し(十戒)、その麓でモーセを通して幕屋造りを命じました。さらに、神の幕屋を中心にして約束の地を目指すイスラエルの民に、具体的な神との交わりについて、また聖なる国民としての生き方についても教えられたのです。それらを記したものがレビ記です。

 ノアは洪水の水が引き、地に降り立った時、まず祭壇を築き、全焼のささげ物を献げました(創8:20)。またアブラハムも、自分に現れてくださった主のために、その場所に祭壇を築きました(創12:7)。ノアもアブラハムも、自ら進んで、まず神を礼拝したのです。

 全焼のささげ物は、聖なる神を礼拝するために必要不可欠です。神が私たちの罪を、この動物の血というささげ物、すなわちいのちをもって罪を贖うようにしてくださったからです。そして民は聖なる神を礼拝したのです。

 しかし今は、イエス様がご自身のいのちを私たちの罪のために献げられ、罪の贖いを成し遂げてくださったゆえに(ヘブル7:27)、旧約の時代のような動物のささげ物は必要とせず、イエス様の十字架によって、聖なる神を礼拝し、自由に神と交わることができるのです。

 何という恵みであり、感謝なことではないでしょうか。

 神は、あなたが真の礼拝者になることを待っておられます。

 「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。(ヨハ4:23,24)」

今日のメッセージ 『神が備える新しい道』 2024年1月1日

 牧師 高橋勝義

〔イザヤ43章15~19節〕

 「東京砂漠」という歌がヒットしたことがありました。ビルの谷間には人が溢れ、やさしさも見失う砂漠のような都会…。しかし便利になった今日も、人の心は相変わらず砂漠状態ではないでしょうか。

 かつて、イスラエルは、エジプトで奴隷状態でしたが、神はモーセを遣わし、彼らを救い出します。しかし、奴隷(イスラエル)を取り戻そうと、エジプト軍が追い迫ってきたとき神は紅海を風で二つに分け、海の底に道を造り、イスラエルの民はその道を通って、無事、脱出することができました。このようなことができる全能の神が「先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。」と私たちに語ります。それは、「必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける」と約束する神が、私たちの人生に新たな道を導いてくださるからです。

 この道について、イエス様は「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)」と語られました。砂漠状態にある私たちの心の中に、本物の愛を注ごうとされているのです。さらに神は「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている─主のことば─。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」と約束してくださっています。

 神はあなたに「見よ、わたしは新しいことを行う」と語っているではありませんか。さあ、あなたの人生という道にイエス様をお迎えして、新しい年を始めましょう。

今日のメッセージ 『神とともに歩む』 2023年12月31日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト40章34~38節〕

 「旅は道連れ世は情け」とは、旅に道連れがいると心強いように、人生の旅路も周りと仲良く、助け合って生きていくことが大切だ、という意味です。

 モーセは、神が命じられた通りに、幕屋の設営を行い、すべての仕事を終えました。すると、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちたため、モーセは会見の天幕に入ることができませんでした。イスラエルの民は、旅路の間、いつも雲が幕屋の上から離れて動き出すと、そのあとに従って旅立ち、雲が動くのをやめるとそこにとどまり、動き出すまでじっと待ちました。昼は幕屋の上に主の雲がかかり、夜は雲の中に火が輝きました。

 イスラエルの旅路を導かれるのは、彼らをエジプトから救い出された神であり、いつでも、どこででも、どんな時にも、神は彼らともに歩んでくださるお方でした。幕屋の上に昼は主の雲が、夜は雲の中に火があることが、彼らへのしるしでした。

 アブラハムは神のことばを信じた信仰によって義と認められた、と聖書が語っているように、イエス様を罪からの救い主と信じる信仰によって、私たちはアブラハムの霊的子孫であると聖書は語ります(ガラテヤ3:6,7)。それはイスラエルを救い出すために、エジプトに不思議な御業を下した同じ神が、あなたの神となってくださることを意味します。あなたは、人生の旅路に最も強力な道連れを得たことになるのです。

 「あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。(イザヤ46:4)」と語ってくださる神を信頼し、感謝と喜びをもって、ぶれることなく神に従って行きましょう。

今日のメッセージ 『私たちのために救い主が生まれる』 2023年12月24日

 牧師 高橋勝義

〔マタイ1章18~25節〕

 赤ん坊の産声が闇に響き、母マリアは生まれたばかりの赤子を腕の中に抱き、布にくるんで飼葉桶に寝かせます。その寝顔を見守るのは、両親と家畜小屋の動物たちだけでした。預言者イザヤが、「主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエル(神が私たちとともにおられる)と呼ぶ。(イザヤ7:14)」と、その誕生の約700年前に語ったことが、ここに成就したのです。

 このよき知らせを、神はまず夜番をしていた貧しい羊飼いたちに知らせました。御使いが彼らの前に現れ「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ2:11)」と語ったのです。彼らは、それを確かめるべく出かけて行き、御使いが語ったとおりだったので、神をあがめながら、帰って行ったのです。

 神の御姿を捨て、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられた、とありますが、まさにキリストは家畜小屋でお生まれになったのです。それだけではなく、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました(ピリピ2: 6,7,8)。

罪ある私たちは、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9:27)」ゆえに、その私たちの身代わりとなって、罪のためのいけにえになられたのです (ヘブル9:26) 。神は、私たちがひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つために(ヨハネ3:16)、キリストをこの世に遣わすことをご計画されたのです。

 すべては、あなたのためです。あなたのために、救い主をこの世に生まれさせてくださった神の愛に心から感謝し、喜んで、イエス・キリストを心にお迎えしましょう。

今日のメッセージ 『平和の君はろばに乗って』 2023年12月17日

 牧師 高橋勝義

〔ゼカリヤ9章9~10節〕

 十字架を目前に控えた日曜日、弟子たちは命じられた通りに「子ろば」を主の前に連れて来てきました。そしてイエス様はその「子ろば」に乗ってエルサレムに入城したのです。

 群衆は「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」と叫び迎えました。預言者ゼカリヤがイエス・キリストがこの世界に来られる約500年も前に、「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」と預言したことが、ここに成就したのです。またゼカリヤは続けて、「彼は諸国の民に平和を告げる」とも語っています。まさにイエス様は柔和な平和の君としてこの世に来られたのです。ところがイエス様御自身は、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。(マタイ10:34)」と語られたのです。これは、どういうことなのでしょうか。

 イエス様が語られた平和とは神と和解することです。私たちの歩みは自分中心で、この世を愛し、神に背を向けたものです。これは神に敵対する(ヤコブ4:4)ことであり罪の根源なのです。イエス様の十字架は、私たちの罪を解決し、神との敵対関係から、神との和解(エペソ2:16)、神との平和(ローマ5:1)をもたらしてくださったのです。それゆえ、イエス様は「わたしが来たのは、罪人を招いて悔い改めさせるために来た」と語られたのです。(ルカ5:32)

 イエス様の招きを拒む者ではなく、招きに心を開き、神と和解し、神との平和の歩みをスタートさせませんか。

 「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27)

今日のメッセージ 『悲しみを知る慰め主』 2023年12月10日

 牧師 高橋勝義

〔イザヤ53章1~6節〕

 人は自分たちを守ってくれる指導者に、強くてリーダーシップに長けた人を求めます。特に不安定な時代になればなるほど、「強さ」を求めるものです。

 しかし、預言者イザヤが語った救い主像は、大国アッシリアの脅威にさらされていた南ユダ王国の民にとって、受け入れられるものではありませんでした。それは強い指導者ではなく「悲しみの人で、病を知っている」方であり、人々が慕うような見栄えもなく、むしろ蔑まれ、のけ者にされ、尊ばれないお方として語られたからでした。その預言通り、救い主としてこの世に来られたイエス・キリストは、無実であるにもかかわらず十字架刑による惨めな死を迎えました。「私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。(イザヤ53:4~5)」とあるのは、神がご自身に対する私たちの背きの罪と咎をこのキリストに負わせ、十字架によって処罰し、私たちを赦すための贖いを成し遂げるためだったのです。

 すべては、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって歩んでいる私たちを、探し出し、神の身元に再び招き入れるためでした。そのために、神はイエス・キリストをこの世に遣わされたのです。そして、「悲しみの人で、病を知っている」このお方は、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)」とあなたを招いておられます。

 今、あなたは、どこにいるのでしょうか、イエス様の懐に勇気をもって飛び込みましょう。 「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。(ヘブル2:18)

今日のメッセージ 『新しいいのちの始まり』 2023年12月3日

 牧師 高橋勝義

〔イザヤ11章1~5節〕

 ソロモン王の死後イスラエル王国は南北に分裂し、北王国イスラエルは隣国アッシリアに滅ぼされ、ホセア王を始めその十部族はアッシリアに捕らえ移されます。南王国ユダにもアッシリア王国の脅威が迫っていました。

 このような中で預言者イザヤは、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる(イザヤ9:6)」とイエス・キリストの誕生を預言しました。それは救い主が生まれる700年も前で、そのみどりごはダビデの父エッサイの子孫から生まれると告げたのです。しかし身分の低い羊飼いエッサイは、「エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない(Ⅱサムエル20:1)」と、軽んじられていました。

 それは私たちの救い主が、神でありながら、へりくだったお方であり、神としての権利を求めたり執着せず、しもべの姿をとり、人間と同じようになられ、この地上に来てくださったことを表しています(ピリピ2:6,7)。主は知恵と悟りの霊、思慮と力の霊に満ち、父なる神に従うことを喜びとし、外見や評判、うわさで人をさばくことをせず、弱い者や貧しい者の味方になってくださるお方なのです。それゆえ「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。(マルコ2:17)」と語り、さらに「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移る。(ヨハネ5:24)」と約束されました。神は、あなたが高価で尊い存在だと語り、あなたを招いておられます。

 神が遣わされた救い主イエス・キリストの御降誕を心から感謝し、受け取りましょう。

今日のメッセージ 『永遠の住まい』 2023年11月26日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト40章1~33節〕

 幕屋に必要なすべてが完成し、いよいよ幕屋の設置が始まります。神はモーセに、第二年の第一日に会見の天幕である幕屋を設営するようにと命じ、幕屋は組み立てられました。

 聖所の奥は至聖所とし、さとしの板(十戒)を納め「宥めの蓋」をのせた箱を置き、仕切りの垂れ幕を掛けます。そして聖所の中に机、燭台、香壇を配置し、幕屋の庭には全焼のいけにえの祭壇、洗盤を配置し、すべての用具に油注ぎを行い、それらを聖別したのです。最後にアロンとその子らを、祭司として主に仕えさせるために水で洗いきよめ、アロンに聖なる装束を着せ、油注ぎを行って聖別し、彼の子らにも長服を着せました。彼らが油注がれたのは、イスラエルの民の罪の贖いを日々行う永遠の祭司職のためでした。

 私たちの救い主イエス・キリストは、十字架の上で流されたご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました(へブル9:12)。そして、今、永遠に神の右の座に着いておられます(へブル10:12)。そこは、人の手によって造られた幕屋ではなく、神によって設けられた幕屋であり、ここに主キリストはおられるのです(へブル8:2)。そして、日々私たちのためにとりなしをしてくださっています。(ローマ8:34)さらに私たちのために、天に住まいを用意し、私たちをご自身のもとに迎えて入れてくださるのです。(ヨハネ14:2,3)私たちには、天に人の手によらない永遠の住まいが用意されているのです。(Ⅱコリント5:1)ですから、イエス様が「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)と語られた御言葉に堅く立って、天国に用意されている永遠の住まいに向かって、この世の旅路を歩んで行きましょう。