今日のメッセージ 『神の愛の警告』 2023年10月22日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト37章1~29節〕

 幕屋の次にイスラエルの民は、聖所の中に備える備品として、さとしの箱(契約の箱)、机、燭台、香の祭壇、さらに聖なる注ぎの油と純粋な香り高い香を作りました。さとしの箱の上の「宥めの蓋」には、両翼を上の方に広げた二つのケルビムが置かれ、この中に、神の教えが記されている「さとしの二枚の板」が納められるのです。燭台は純金で、台座と支柱から出る六本の枝に、アーモンドの花の形を槌で打って作りました。アーモンドはいのちの象徴であり、燭台は聖所の中を照らす光となりました。けれども人の手で作られたこれらすべては、今は失われ、消え去ってしまいました。

 しかし、今日も私たちの主キリストは、天におられる大いなる方の御座の右に座し、人間によってではなく、主によって設けられた、まことの幕屋、聖所で仕えておられます(へブル8:1,2)。それは、主が十字架で流されたご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたからです(へブル9:12)。ですから、私たちは行いによるのではなく、キリストを罪からの救い主と信じる信仰によって救われるのです(エペソ2:5)。

 ところが、いつの間にか、キリスト者の中に、行いを重視しする律法主義の人々が現れてきたため、パウロは「ああ、愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出されたというのに、だれがあなたがたを惑わしたのですか。(ガラテ3:1)」と嘆きました。同様に私たちも行いを頑張ることで救いを達成しようとしてしまいます。

 主は私たちに、「わたしはあなたに忠告する。~目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。(黙示録3:18)」と、十字架の主を見上げるように愛の警告を語ります。