2011年5月11日 「海外福音自由視察チーム来仙」

昨晩から、海外の福音自由教会(アメリカ、香港、シンガポール)の責任者の先生方や信徒の方々が、はるばる宮城に来て下さいました。そして、祈祷会に出席して下さるとともに、Karl Lahr先生(アメリカ福音自由教会 ‘Reach Global’ 責任者)がメッセージを取り次いで下さいました。通訳は、広島福音自由教会の北野先生でした。先生は、「このような状況にある皆さんに、どのような言葉をかければよいか、正直に言って非常に難しいことです。しかし、主が皆さんをこの時、この場所に置いておられた、ということは確かなことです。私たちは、そのようにして主が摂理を持って置かれたそれぞれの地で、主の使命を果たしていく必要があるのです」と、力強くメッセージを語って下さいました。

今回はまた、アメリカミネソタ州より、Sさんご夫妻も駆けつけて下さいました。私(門谷)の両親の親しい友人であり、今回教会でアピールしてくださり、尊い義援金を携えて来て下さいました。このように遠く離れた地から直接の支援を頂けることは思ってもいなかったことであり、本当に励まされることでした。

食事の交わりも大いに祝され、普段、他の福音自由教会と距離があるためにあまり交わりが持てない教会員にとっては、一足飛びに海外の福音自由の皆さんとの交わりが与えられる貴重な機会となりました。

昼食後は、一同で再び石巻~女川の視察に出かけました。海外から初めて被災地を回った方々は、二ヶ月を経てもなおほとんど変わらない惨状の被災地に息を飲んでおられました。

石巻教会に行った時、ちょうど2時46分を迎えました。そう、この日は震災から丁度2ヶ月の日でした。行政無線で黙祷を呼びかける放送が流れ、一同、それぞれの場所で、主のいやしと顧みを祈ったのでした。

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2011年5月9日 「石巻・女川町・南三陸方面再訪」

今日は、米国の自分の教会にてアピールをして下さり、義援金を集めて下さったSさんご夫妻が、日本滞在中に私たちの教会を訪ねて下さいました。Sさんは、私の生まれ故郷であるミネソタ州セントポール郊外に数十年に渡って住んでおられる熱い信仰者のご夫妻でした。

今日の目的地は石巻市と女川町でした。私自身、被災地を訪れるのは3週間ぶりでした。最初の石巻では、石巻港沿岸を通りました。こちらでは、以前は散乱していたコンテナが整然と積み上げられていたり、南浜町に以前は無かった巨大なガレキ撤去場が出現したりと、変化を感じさせるものでした。次に向かったのは、渡波(わたのは)地区です。こちらは、当教会の物資配布で何度か出向いている地区です。中に入ってみてまず驚いたのは、道が広くなっていることでした。以前は道路の両側にうず高くガレキが積み上がり、車幅一杯まで来ているような場所ばかりだったのですが、今回の訪問では、そのようなことは全くなく、車同士がすれ違えるまでになっていました。これは驚くべきことであり、希望を感じました。この数週間で、相当にガレキ撤去が進んだ印象を受けました。もちろん、電柱は倒れたまま、電線は垂れ下がったままで、水道も通っていないようで、暮らしぶりが良くなったわけではありません。依然として過酷な状況に置かれている住民の皆さんを思うと心が痛みました。

次に向かったのは、女川町です。既に何度か訪問していますが、今回も女川町立病院に向かいました。そこで交通整理をしている初老の男性にお話を伺う機会がありました。地震発生当日、彼は家族を連れて高台であるこの病院の駐車場に避難しました。寒い日であったため、皆そこで暖機運転をして暖を取っていました。ところが、津波は想像を超える高さでやってきました。危険を感じた彼は病院の三階に避難して間一髪で難を逃れましたが、目の前で自分の車が流されていきました。その車は、50m先にある4階建てのビルの屋上に突っ込んだままになっているのが見えました。彼は地震後、少しでも津波の被害を減らそうと、自宅の雨戸を閉めに一旦戻ったとのことでしたが、その家はいま、跡形もありませんでした。何も持参せず雨戸だけ閉めたことを聞いた近所の方々から呆れられてしまったと、彼は苦笑しながら話して下さいました。一同、衝撃を受けた告白でした。

さらに、マリンピア女川の屋上(5階建て相当)に逃げた人も助からず、さらにその一段上の逆三角形の構造物がある段によじ登った人だけが助かったこと、また商工会議所の屋上にある3m程度の給水タンクの鉄骨にしがみついた人四人が助かったこと、等々のお話しを伺いました。彼に別れを告げた後は、女川駅の跡地など、以前見ていなかった場所も巡りました。山の木に引っかかった電車など、さらに衝撃的な風景も広がっていました。

続いて、女川から沿岸地帯を北上しました。雄勝町を経由し、北上川までやってきた所には、あの大川小学校がありました。この小学校は、教師・児童の80%が亡くなったことが報じられた場所でした。確かに、学校のすぐへりが山でした。よじ登れない山ではないように思えました。一瞬の判断が生死を分けることを痛感させられました。

女川駅に向かう線路はこのような惨状
流れ着いた電車。博物館として使われていた模様。
電車の上部から、石巻線上り方向を望む
信じ難いことだが、別の客車が木に引っかかって静止している
線路に横たわる車の残骸
女川町立病院駐車場にて、地元の方にお話を伺う
女川湾を望む公園には、地割れが生じていた
看板を見ると、面前の湾には長い防潮堤があったことが分かるが、今は跡形もない
何事も無かったかのようにして咲き乱れる八重桜
雄勝町にて。雄勝公民館の屋上に鎮座する大型バス
雄勝公民館全景
雄勝の中心部。何も残っていない。
雄勝中学校。3階にも波が来ている事が分かる。
全校生徒の8割が無くなった地として知られる、大川小学校のいま。
ささげられた花々。面前の重機は、流木を粉砕している所だ。
大川小学校全景。児童らは左側の堤防に登ろうとして波にのまれた。

2011年5月5日 「石巻市・黄金浜物資配布」

教会では、石巻地域への継続的支援を行うことで、皆の一致が見られています。今のところ、週1回、10人程度の教会メンバーが4~5台の乗用車一杯に荷物を詰め込んで、現地へ向かっています。今回は、事前にある教会員の友人が住んでおられるという「黄金浜(こがねはま)」に向かいました。ここでは、既に他のキリスト教団体が継続的に物資を配布しておられるようで、現地では「キリストが来る!」と言われているとのことでした。余談ですが、現地の方々にとっては、「キリスト」も「教会」も一緒の扱いのようです(笑)。ある意味では神学的だと言えるかもしれません。

こうして到着した黄金浜には、砂利が敷かれた大きなスペースがありました。聞くとそこは以前は干物を天日干しにする場所だったとのことですが、その面影はありませんでした。周囲の家々は、やはり大きなダメージを受けており、一階部分に居住することは厳しいように思われました。依然として、物資配布の必要は非常に大きいようです。

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2011年4月19日「石巻キリスト教会での仕分け、自治会館に物資を届ける」

昨日のレポートの通り、今日からは4名のボランティアチームの方々に単独での動きをお願い致しました。以下はK先生のレポートを中心にしたご報告です。
「石巻キリスト教会に物資を届けると同時に、物品の仕分けをした。教会の全ての部屋が物資で埋まっている状態で、仕分けるスペース確保にも困難でした。その後、教団教派、国境の壁を越えて多くのクリスチャンが集まり人数が増えたため、郊外に物資を届けることにした。途中である自治会館で物資が不足しているという情報を聞いてそこに向かった。そこでは60名程度の避難者が何の仕切りも無い部屋に寝泊まりしていた。物資の必要を尋ねると逡巡したのち、女性用の上の下着(ブラジャー)と申し出られた。震災以来、一度も取り替えていないという(上の下着はサイズが細かくあるので支援物資として集めづらい事情があります)。チームに女性メンバーがいたので彼女が詳しく必要を伺い、一旦教会に戻って物資を届けた。下着については後日届けるという約束をして後にした。仙台に帰る道では、大潮のため道路が冠水していた。バンパーに木材が刺さった車も見かけた。」
後日談として、メンバーのO姉が帰宅後、早速下着を集めて下さり、宅急便で会館に届けて下さいました。後日そこを訪れた石巻キリスト教会の伊藤先生によれば、「避難者の方々は大変喜んでおられました」とのことでした。こういう配慮ができることこそ、まさしく教会ならではないかと思わされます。今後は、このような面での支援が必要になってくることでしょう。

2011年4月18日「第五次ボランティアチーム到着、ひとつの区切り」

今日は、福音自由教会のボランティアチームの方4名が仙台に到着されました。関西からの牧師先生3名と、上田教会のO姉が再び、です。仙台福音自由教会では、先週ライフラインが完全に戻ったのを機に、先週末をもって教会全体としての被災地への直接的支援は一旦終了することになりました。私(門谷)も、今週からは再び通常の牧会の働きに戻していくことにしています。もちろん、被災地のニーズもそこで消滅したわけではありません。その逆です。けれども被災地では、初期の救援ミッションから、中長期のミッションへと移行しつつあるように思います。そうすると、今度は被災地支援に関わっている方々の「心身の疲れ」にも、焦点が当てられなければなりません。特に今回の震災の場合、目で見える被害が余りにも大きいので、「被災する側」のことはあまり目が行かない場合多いように思います。しかし実は彼らも非常に疲れているのです。なかなかその部分の霊的・肉体的ケアができておらず、走っている場合が多いのではないでしょうか。特に、地域の支援の中核拠点的な働きをしておられる教会の働き人に、その傾向が強いように思います。
ですから、そのような視点を持ちつつ、教会が教会としての機能を果たしながら、同時に支援活動にどのように関わっていくか。教会全体として熟慮し、統一見解を持っておくことが必要なように思います。牧師の熱意だけに任せておくと、後から教会員が思わぬダメージを受けないとも限らないように思います。そういう観点から、当教会では、今週から「有志による自発的に支援ミッション」に大きくシフトすることに致しました。教会活動と支援活動の両立をうまく果たすためには、そのような関わり方が最善だと判断してのことです。いつまでも牧師が毎日のように遠方の被災地に出向いている訳にはいきません。その地域「教会」としての機能が低下することに繋がりかねないからです。直接の被災地から離れている教会は、どこかの時点で、後方支援にシフトしていく必要があると私は考えています。そういう訳で、明日からはボランティアチームの皆さんに単独でのミッション遂行をお願いし、私は教会に留まって、調整業務や通常の牧会に戻っていくことになります。

第5次ボランティアチームの皆様

2011年4月14日「渡波(わたのは)物資配布&割烹料理店清掃ミッション」

今日は、物資配布チームと清掃チームが合同で石巻に向かいました。ワゴン車三台+普通車二台で車列を組みました。目指したのは石巻市東部の渡波(わたのは)地区。ここは万石浦(まんごくうら)という湾にほど近く、海岸から数百メートル足らずの距離でした。最初はもっと沿岸寄りを目指したのですが、津波で堤防が崩れたことと、地震で地盤が1.2メートルも沈下したこと、そして大潮で潮位が上がったことから、数十メートル内陸側まで水に浸かってしまい、車での進入が困難になっていました。暴風雨の際には、床上まで水に浸かる可能性が容易に考えられます。たとえ津波を乗り越えても、今後継続的に住むことは非常に難しい。そういう悲惨な地域でした。その一角の、閉まっていた商店の駐車場をお借りして、物資を並べました。並べ始めた途端、近くの家々から待ちきれない被災者の方々が続々と出てこられ、「まだですか」と言われます。
教会の婦人達にその場は任せ、男性陣は昨日出向いた割烹料理店の清掃に向かいました。到着すると、今日共同作業する予定であった、JECA西日本地区とJIFHの合同ボランティアチームの方7人が、すでに作業を始めておられました。この料理店は1階が厨房、2階が宴会スペースとなっており、400平方メートルはあろうかという大きな建物です。早速私たちもガレキ撤去作業に取りかかりました。思い出の家財も一緒になっているため、注意しながらでした。一同何かに憑かれたかのように一心不乱に作業に明け暮れ、休憩時間も忘れるほどでした。懸念されていた大型冷蔵庫も男性5~6人で撤去でき、女性陣は散乱していたお皿を綺麗にし、5時を回る頃には、1階はほとんど片付いてしまいました。皆、深い充実感に包まれました。K先生が言われました。「今日は、本当にいいミッションだったと思います。大きな仕事ができて良かった!」と。まさしくその通りだったと思います。料理店のご主人のSさんも、昨日の表情とは打って変わり「本当にありがとうございました!昨日まではどうなることかと思っていましたが、皆さんにこんなにやって頂いて・・」と晴れ晴れとした顔でした。聞けば、この料理屋は100年続いている、地元では知られたお店だということでした。もちろんご主人と奥様、そして弟さんはノンクリスチャンの方ですが、「お祈りさせて下さい」とお願いし、その場所で主のあわれみと回復を、丸くなってお祈りしました。ボランティアチームの皆さんは、何も指示が無くとも一人一人、喜んで、自ら進んで献身的に仕えて下さいました。JECAのチームには、今日初めて会った人もいます。にもかかわらず、これだけ一致して働ける。キリストにある交わりの素晴らしさを実感し、震えるような思いでした。
仕事を終えて道具を掃除していた時、向かいのTさん宅のご長男が近づいてこられ、頭を下げて感謝してこう言われました。「物資を持ってきてくれたり、声をかけてくれたりする方は結構いるんです。でも、このように何のつながりも無かった所に来てくれて、実際に身体を動かして助けてくれる人は、なかなかいないんです。この地域のことを思って下さって、本当に有り難いです!」と。そう言う顔も、とてもすがすがしく私の目には映りました。第四次ボランティアチームの最後の活動日に、本当に良い仕事ができ、感謝でした。(後日談:この日から10日余り経った日、一通の葉書が届きました。渡波で支援物資を受け取った被災者の方が、がれきの下から探し出したハガキに感謝を綴って下さったものでした。教会員一同、感動したことは言うまでもありません)。

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2011年4月13日「JEAの皆様来訪、石巻清掃ミッション不発、女川町再訪」

今日は、午前中祈祷会を行い、午後から支援活動に行くことにしていましたが、思いがけず、祈祷会前にJEAの原田先生をはじめとする援助協力委員会の先生方がはるばる関東から訪ねてきて下さいました。このようにして実際に足をお運び下さることは、本当に大きな助けになります。JEAはCRASH JAPANと連携して被災地への人的支援を願っておられます。働きの祝福を祈った次第でした。
さて、祈祷会後の活動として今日予定していたのは、以前物資をお届けしたTさんという方のお宅のお向かいにある旅館の清掃ミッションです。昼食後すぐに出発したのですが、問題がありました。この所、仙台→石巻の道路が非常に混雑していることでした。高速道路も一般道も等しく渋滞しており、なんと2時間30分もかかってしまい、到着した頃にはすでに3時半を回っていました。何か作業をするには少々遅すぎる時間でした。出てこられたのはご主人のSさんご夫妻と、弟さんの3人でした。室内は電気製品や食器、家具、書類、ヘドロ等が散乱していました。特に、500kgはあろうかという業務用の冷蔵庫があり得ない場所に転がっているなど、3人ではどうにもならず、人手が必要なことは明らかでした。これは、お助けできる、と思い伺った所、「今日はもう日が落ちるのでそろそろ切り上げて帰ろうとしていた所です」とのお返事。「少しでもお手伝いさせて頂けませんか」とダメ元でお伺いするも、「もう帰りますので…」と遠慮がちなお返事。では、明日はいかがでしょうか、と半ば食い下がるようにして明日午前中からのご奉仕を申し出ました。
東北人には、このような気質が多分にみられます。どう考えても助けが必要なことは明白であっても、「大丈夫です。間に合ってます!」と言ってしまうのです。それは「人の世話になるのは申し訳ない=そんな好意を受けるような自分たちでは無い」という思いがいつもあるからです。けれども、東北人というものは、情に厚い人々です。一度恩を受けると、心を開いて親しく語り合ってくれるのです。そして、本当はそのような人の愛の温かさに渇いているのです。愛されたい、行動でそれを現してもらいたい。そう願っているのです。これまでの被災地訪問の経験からそのことを学んでいましたので、私も少々お節介と思うような調子で、支援を申し出させて頂いたのでした。
と言うわけでその場は引き上げることになりましたが、まだ時間に余裕があったので、女川町を再訪して様子を見てくることにしました。以前、石巻キリスト教会の伊藤師の案内で向かわせて頂いた場所です。今日は、その時行かなかった、高台にある女川町立病院から町全体を見てみることにしました。到着してみて震えが来ました。私が高所恐怖症気味ということもありますが、「そのような高さに恐怖を感じるまでの場所に、津波が届いている」ということに、なおさら恐怖する思いでした。5階建てのビルの屋上にガレキが乗っているのが見えました。それは、この町で海岸沿いにいた人は、この病院の2階、あるいはもう一つだけあるビルの屋上にでなければ命が助からなかったことを意味していました。女川町は非常に狭い入り江になっているため、このような高い津波になったことでした。

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2011年4月12日「石巻物資配布、民家清掃」

今日は教会員の方の関係で、先日出向いた大街道近辺の方の民家の清掃をさせて頂く事になっていましたので、物資配布所を開くグループと掃除グループに、現地で二手に分かれることにしました。掃除チームが奉仕したのは、床上1.2m程度まで浸水したお宅でした。ご自宅は原形をとどめたまま残っているのですが、あらゆる部屋が浸水して泥まみれになり、車は流され、自宅裏には流れてきた他人の車が突っ込んでおり、玄関~駐車場は厚い泥に覆われていました。瓦屋根も一部損傷しているようでした。幸い水道と電気は戻っていたので、高圧洗浄機を使用して全ての部屋を洗浄しました。また、屋根瓦にも応急処置としてブルーシートを被せました。そして玄関先のヘドロを土嚢袋100袋に詰め込み、山と積み上げました。ヘドロの重さを考えるとこれは本当に重労働でしたが、若いメンバーが大活躍してくれました。このお宅では、ご長男の方が津波で行方不明になってしまわれ、大きな悲しみの中にありました。僅かながらの奉仕が何かの励ましになって下さることを願うばかりでした。
一方、物資配布部隊は、このお宅から50mほど離れたアパートの駐車場でブルーシートを広げ、物資を並べました。この地域の方々は、洋服・寝具・日用品・食器等一切が浸水したり流れ去っていったという方が多くおられたようで、さながら争奪戦の様相を呈したと後から伺いました。本当に必要としている人に、必要なものが行き渡るように、物資配布の方法にも知恵が必要なことを学ばされました。およそ2時間ほどで、ワゴン車3台+普通車2台、合計5台分の物資がきれいに無くなったとのことでした。

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2011年4月11日「震災1ヶ月、ガス復旧!!、第4次ボランティアチーム到着」

今日は、震災から丁度1ヶ月でした。あっという間に時が経ちました。そして、その節目の日に、教会ではガスが復旧しました。1週間ほど前から近所でも「そろそろらしい」と噂されていましたが、ようやく、でした。これで、電気で風呂を沸かさなくても良くなります。また、ボランティアチームの方々にもシャワーを提供できるようになります。復旧に来て下さったのは、大阪ガスの方々でした。遠路はるばる、なれない東北でのお仕事には、本当に感謝なばかりです。
夜遅くには、関西そして北九州から、第4次のボランティアチームの皆さんが来て下さいました。群馬、京都、兵庫、岡山、遠くは北九州からフェリーと車を乗り継いで、最長25時間もかけて駆けつけて下さいました。その心意気と犠牲には、頭が下がる思いでした。年齢層も中学生から40代中盤までと、若いのも特徴でした。ただ、東北道であと2時間で仙台着というあたりで余震が発生し、路面点検のため通行止めとなり、一般道に下りなければならなかった皆さんは、本当に大変だったと思います。先日の大きな余震と言い、今回の地震がいまだ「現在進行形」であることを実感したことでした。

2011年4月7日「石巻物資配布デー、そして大きな余震」

今日は、昨日整備した石巻キリスト教会の物資配布所をオープンする日でした。まず整理券を作り、並んだ人に配って、5人ずつ中に入ってもらうようにしました。衣類は教会前に仕分けして並べ、コーヒーで暖まって頂けるようにし、同時にお米を炊いて炊き出しも行いました。11時のオープン前に、すでに20人以上の行列が出来ていました。 一方、移動物資配布部隊は、教会を後にして石巻市大街道という地域に向かいました。ここは浸水被害がひどかった地域で、1階は激しく浸水したが2階は無事という人が数多く住んでいる地域でした。彼らは1階のガレキやヘドロを必死で撤去し、清掃し、何とか住める状態にしようと悪戦苦闘していました。車やお金などの家財が流れてしまったので買い物にも行けない状態ですので、掃除用品や食料、下着、枕などを中心に、サマリタン・パースの物資集積所で物資を選んで、ワゴン車2台分の物資を持ち込みました。少し道の広い所でブルーシートを敷いただけの物資配布所には、こんなに沢山の人々がこんな場所に戻っていたのかと思うほどの人々がやってこられました。車からの荷出しが追いつかないほどでした。怒涛のように2時間が過ぎ、驚くべき事に、持参した物資が全て完全にはけてしまいました。けれども、最後におばあさんがやってこられました。「もう終わってしまったのですか。今日は朝から何も食べていないんです。何か食べ物はありますか」。心痛む言葉でした。立ち去っていった後に、もう一袋だけ食べ物の袋が出てきたため、急いで後を追いかけましたが見失ってしまいました。「この地域には無限の必要がある…」。そう確信するような出来事でした。
石巻キリスト教会の方に戻ると、丁度物資配布も終わりを迎えた頃でした。それまでに、190人分の整理券が配られ、中の物資もかなり減ったように見受けられました。受付係の話を聞くと、中には一旦家に帰り、服を着替えた上で二度、三度と列に並んでいた人もいたとのことでした。それほどに、求めが大きいということだったのでしょう。「明日はやらないの?」。何人もの人が同じ質問をしていかれました。第三次ボランティアチームは明日、帰還予定です。そのことから「やります」と即答できないのが、何とも痛い所でした。
こうして無事仙台に帰って来、これで今週も終わりかなと思っていた矢先、午後11時32分、突然非常に大きな揺れが仙台を襲いました。マグニチュード7.4、震度6強の、これまでで最大規模の余震でした。丁度入浴中であった私(門谷)は停電しないことを祈りながら揺れが収まるのを待ちましたが、無情にも再び電気は途絶え、家は再び真っ暗になりました。1~2分は揺れていたと思います。停電のために、前回あれほど重要と思った懐中電灯が、どこに置いたのか分からず、家の中を手探りでうろつく羽目に陥りました。裸ででした。前回の断水のことが瞬時に頭をよぎり、即座に水の確保に走りました。風呂に水を張った所、すでに水は濁った状態。これは「断水する…」と確信し、携帯用水タンクにも水を満たしました。やっと一息ついたときには、1時を回っていました。高速道路は通行止めとなり、明日の早朝に出発予定の第3次ボランティアチームの帰路にも暗雲が立ちこめてきました。余震と停電を経験したボランティアチームは、彼らだけでしょう。しかし、本震を経験している者にとっては「あの生活に戻るのか…」と思うと、憂鬱な気分になるものです。こうして、多くの人々が不安におののく中で、兎にも角にもその夜は過ぎていったのでした。

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