今日は、午前中祈祷会を行い、午後から支援活動に行くことにしていましたが、思いがけず、祈祷会前にJEAの原田先生をはじめとする援助協力委員会の先生方がはるばる関東から訪ねてきて下さいました。このようにして実際に足をお運び下さることは、本当に大きな助けになります。JEAはCRASH JAPANと連携して被災地への人的支援を願っておられます。働きの祝福を祈った次第でした。
さて、祈祷会後の活動として今日予定していたのは、以前物資をお届けしたTさんという方のお宅のお向かいにある旅館の清掃ミッションです。昼食後すぐに出発したのですが、問題がありました。この所、仙台→石巻の道路が非常に混雑していることでした。高速道路も一般道も等しく渋滞しており、なんと2時間30分もかかってしまい、到着した頃にはすでに3時半を回っていました。何か作業をするには少々遅すぎる時間でした。出てこられたのはご主人のSさんご夫妻と、弟さんの3人でした。室内は電気製品や食器、家具、書類、ヘドロ等が散乱していました。特に、500kgはあろうかという業務用の冷蔵庫があり得ない場所に転がっているなど、3人ではどうにもならず、人手が必要なことは明らかでした。これは、お助けできる、と思い伺った所、「今日はもう日が落ちるのでそろそろ切り上げて帰ろうとしていた所です」とのお返事。「少しでもお手伝いさせて頂けませんか」とダメ元でお伺いするも、「もう帰りますので…」と遠慮がちなお返事。では、明日はいかがでしょうか、と半ば食い下がるようにして明日午前中からのご奉仕を申し出ました。
東北人には、このような気質が多分にみられます。どう考えても助けが必要なことは明白であっても、「大丈夫です。間に合ってます!」と言ってしまうのです。それは「人の世話になるのは申し訳ない=そんな好意を受けるような自分たちでは無い」という思いがいつもあるからです。けれども、東北人というものは、情に厚い人々です。一度恩を受けると、心を開いて親しく語り合ってくれるのです。そして、本当はそのような人の愛の温かさに渇いているのです。愛されたい、行動でそれを現してもらいたい。そう願っているのです。これまでの被災地訪問の経験からそのことを学んでいましたので、私も少々お節介と思うような調子で、支援を申し出させて頂いたのでした。
と言うわけでその場は引き上げることになりましたが、まだ時間に余裕があったので、女川町を再訪して様子を見てくることにしました。以前、石巻キリスト教会の伊藤師の案内で向かわせて頂いた場所です。今日は、その時行かなかった、高台にある女川町立病院から町全体を見てみることにしました。到着してみて震えが来ました。私が高所恐怖症気味ということもありますが、「そのような高さに恐怖を感じるまでの場所に、津波が届いている」ということに、なおさら恐怖する思いでした。5階建てのビルの屋上にガレキが乗っているのが見えました。それは、この町で海岸沿いにいた人は、この病院の2階、あるいはもう一つだけあるビルの屋上にでなければ命が助からなかったことを意味していました。女川町は非常に狭い入り江になっているため、このような高い津波になったことでした。