今日は、昨日整備した石巻キリスト教会の物資配布所をオープンする日でした。まず整理券を作り、並んだ人に配って、5人ずつ中に入ってもらうようにしました。衣類は教会前に仕分けして並べ、コーヒーで暖まって頂けるようにし、同時にお米を炊いて炊き出しも行いました。11時のオープン前に、すでに20人以上の行列が出来ていました。 一方、移動物資配布部隊は、教会を後にして石巻市大街道という地域に向かいました。ここは浸水被害がひどかった地域で、1階は激しく浸水したが2階は無事という人が数多く住んでいる地域でした。彼らは1階のガレキやヘドロを必死で撤去し、清掃し、何とか住める状態にしようと悪戦苦闘していました。車やお金などの家財が流れてしまったので買い物にも行けない状態ですので、掃除用品や食料、下着、枕などを中心に、サマリタン・パースの物資集積所で物資を選んで、ワゴン車2台分の物資を持ち込みました。少し道の広い所でブルーシートを敷いただけの物資配布所には、こんなに沢山の人々がこんな場所に戻っていたのかと思うほどの人々がやってこられました。車からの荷出しが追いつかないほどでした。怒涛のように2時間が過ぎ、驚くべき事に、持参した物資が全て完全にはけてしまいました。けれども、最後におばあさんがやってこられました。「もう終わってしまったのですか。今日は朝から何も食べていないんです。何か食べ物はありますか」。心痛む言葉でした。立ち去っていった後に、もう一袋だけ食べ物の袋が出てきたため、急いで後を追いかけましたが見失ってしまいました。「この地域には無限の必要がある…」。そう確信するような出来事でした。
石巻キリスト教会の方に戻ると、丁度物資配布も終わりを迎えた頃でした。それまでに、190人分の整理券が配られ、中の物資もかなり減ったように見受けられました。受付係の話を聞くと、中には一旦家に帰り、服を着替えた上で二度、三度と列に並んでいた人もいたとのことでした。それほどに、求めが大きいということだったのでしょう。「明日はやらないの?」。何人もの人が同じ質問をしていかれました。第三次ボランティアチームは明日、帰還予定です。そのことから「やります」と即答できないのが、何とも痛い所でした。
こうして無事仙台に帰って来、これで今週も終わりかなと思っていた矢先、午後11時32分、突然非常に大きな揺れが仙台を襲いました。マグニチュード7.4、震度6強の、これまでで最大規模の余震でした。丁度入浴中であった私(門谷)は停電しないことを祈りながら揺れが収まるのを待ちましたが、無情にも再び電気は途絶え、家は再び真っ暗になりました。1~2分は揺れていたと思います。停電のために、前回あれほど重要と思った懐中電灯が、どこに置いたのか分からず、家の中を手探りでうろつく羽目に陥りました。裸ででした。前回の断水のことが瞬時に頭をよぎり、即座に水の確保に走りました。風呂に水を張った所、すでに水は濁った状態。これは「断水する…」と確信し、携帯用水タンクにも水を満たしました。やっと一息ついたときには、1時を回っていました。高速道路は通行止めとなり、明日の早朝に出発予定の第3次ボランティアチームの帰路にも暗雲が立ちこめてきました。余震と停電を経験したボランティアチームは、彼らだけでしょう。しかし、本震を経験している者にとっては「あの生活に戻るのか…」と思うと、憂鬱な気分になるものです。こうして、多くの人々が不安におののく中で、兎にも角にもその夜は過ぎていったのでした。