牧師 高橋勝義 |
〔民数記20章14~21節〕
カデシュから約束の地に入ることは神の御心ではないと知っていたモーセは、ヨルダン川の東から入るために、エドムの王に領地を通過させてくださいとお願いしました。しかし、エドムの王は、「私のところを通ってはならない。通るなら、私は剣をもっておまえを迎え撃つ。」と語り、強力な大軍勢を率いて出て来たのです。イスラエルは、やむなく向きを変えることになったのですが、エドムの先祖は父祖ヤコブの双子の兄であり、神は同族エドムとの争いを避けるために、あえてイスラエルに遠回りの道を行かせたのです。
ことわざには「急がば回れ」とありますが、神は意味もなくイスラエルを遠回りの道に導いたのではなく、深いご計画があってのことでした。聖書も「争いを避けることは人の誉れ。愚か者はみな、争いを引き起こす。(箴言20:3)」と語ります。
「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない(哀歌3:33)」とあるように、すべてを御支配しておられる神は、私たち一人一人の歩みを責任をもって導いてくださるお方です。ですから、たとえ、私たちの目には、一見、不利に見えても、すべてのことがともに働いて益となさる神を信じて歩むことが大事なのです(ローマ8:28)。なぜなら、「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:5)」との約束があるからです。しかし私たちは、様々な困難や苦難に出会うと、すべてが神の御支配の中にあることを信じる信仰が働かず、この世の知識や知恵、これまで歩んできた自分の経験を頼りにしてしまいます。
それゆえ神は、「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。(箴言3:5)」と私たちに愛の警告をしているのです。
牧師 高橋勝義