牧師 高橋勝義 |
〔民数記16章36~50節〕
コラに属する者はみな、ことごとく地に吞み込まれ、また香を献げていた二百五十人は焼き尽くされてしまいました。このありさまを見ていたイスラエルの全会衆は、翌日、モーセとアロンに向かって「あなたがたは主の民を殺した」と詰め寄りました。そのとき主の栄光が現れ、主はモーセに「あなたがたはこの会衆から離れ去れ。わたしはこの者どもをたちどころに絶ち滅ぼす。」と告げ、主の裁きが始まったのです。この主の罰で、一万四千七百人が死にました。約束の地に入れないことへの失望、さらに荒野で40年過ごさなければならないことへの不安と恐れがイスラエルの全会衆にそうさせたのでしょう。
私たちも先行きが見えず、将来に希望が持てないとき、やり場のない思いを何かにぶつけたくなります。しかし、イエス様は、「明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。(マタイ6:34)」と語られましたが、自分はどこに向かって歩んでいるのかがはっきりしているならば、たとえ目の前に様々な困難や問題がおこったとしても、その問題は神様におゆだねして、前に向かって歩めます。今起こっているすべての事は神のご支配の中にあること、また神がともにおられることを信じる信仰が鍵であり重要なのです。
イエス様は天に帰られる時、私たちに「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます(ヨハネ14:3)」と約束されました。天ではあなたのあらゆる労苦をご存知の主が、あなたの涙をことごとくぬぐい取ってくださいます(黙示録21:4)。
ですから、主を仰ぎ見つつ歩んで行きましょう。(Ⅰコリント15:58)
牧師 高橋勝義