今日のメッセージ 『キリストの血はすべての罪をみよめる』 2025年7月27日

 牧師 高橋勝義

〔民数記19章1~22節〕

 ここで神が、汚れた身をきよめるための水の作り方について指示をされたのは、神へのいけにえをささげるために選ばれた祭司たちに「親族のうちの死人によって自分の身を汚してはならない(レビ21:1)」と命じていたからでした。しかし、どのようにして汚れた身をきよめるのかについては、レビ記では具体的に示されていませんでした。

 きよめの水は、まだくびきを負わせたことがなく、傷のない完全な赤い雌牛を屠り、祭司がその雌牛を焼いた灰を集め、宿営の外のきよい所に置き、汚れを除く水を作る。死の汚れは罪の汚れであるため、赤い雌牛が身代わりとなって、主の前に罪を負って流す血のゆえに、その灰水(あく)が汚れ(罪)をきよめるのです。

 バプテスマのヨハネは、イエス様が来られるのを見て「見よ、世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ1:29)」と言いました。またペテロは、「キリストは罪を犯したことがない(Ⅰペテロ2:22)」と証言しています。ですから「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。(使徒4:12)」とある通り、イエス・キリスト以外に私たちの罪をきよめることはできません。キリストが十字架で流された血潮によって、私たちの罪は赦されますが、罪がなくなるわけではありません。相変わらず罪を犯す自分がいます。

 このことをしっかりと受けとめ、「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます(Ⅰヨハネ1:9)」と約束されているように、私たちは、神の前に、日々罪を認め、きよめていただかなければならないのです。