牧師コラム 「らしんばん」 2015年2月8日

IMG_8506  栗原延元牧師

船の航路を定めるための器具が羅針盤です。
人生の方向を示すものが座右の銘です。
「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)は西郷隆盛の座右の銘です。
彼は郷里にて聖書を教えてもいました。
特にマタイ福音書を読んでいたようです。
その中の
<自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、
正しい人たちにも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです>
の箇所に「敬天愛人」の銘は由来しているようです。

西郷は勝海舟との話し合いで江戸城の無血開城をし、
江戸を戦火から救いました。
鹿児島にある西郷南州記念館の館長は、
西郷はキリスト教の信仰を持って生涯を閉じたのではないかと話しています。
(DVD聖書を読んだサムライたち―龍馬をめぐる5人の男たち―)

この記念館には、西郷の愛読した聖書が展示してあります。
西郷の人物の大きさをある人は、

「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く太鼓のようだ」と語っています。

西郷さんは、天の父なる神を仰ぎ見つめていたのではないかと思っています。

<あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。>(マタイ5:48)

3.11 祈りのとき ―ハープの調べとともに―

震災から4年が経過しようとする東北です。
復興に向かう中、まだまだ悲しみの癒ええぬ人々が
おられます。
私たちは、東日本大震災を覚えて、3月11日に
石巻会堂で、アイリッシュハープ演奏家の「KIKI」さんをお迎えし、
音楽の調べの中、祈りの時を持ちます。

どなたでもお越しいただける集いです。
ご都合の良い時間にお越しください。

日時:2015年3月11日 10時00分から16時00分(時間変更になる場合あり)
場所:石巻福音自由教会 石巻市三和町6-3

チラシは こちら をご覧下さい!

「KIKI」さんプロフィール
5歳よりピアノを始め、ギターの弾き語り、フルートを経て、
アイリッシュハープに出会い、その美しく繊細な音に魅せられ、
自らの音楽をこの楽器に託すようになる。

ケルト民謡、日本歌曲、讃美歌、オリジナル曲等のレパートリーを持ち、
アイリッシュハープの弾き語りによる『Harp & Songコンサート』を
千葉県・東京近辺で行い、安らぎの時間と空間をお届けしている。

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牧師コラム 「らしんばん」 2015年2月1日

IMG_8506  栗原 延元牧師

今日は「12使徒の任命」と題して
マルコ3章7~19節を学びます。
「使徒」とはイエス様の受洗から復活、昇天まで
イエス様と一緒に歩んだ弟子たちの中から、
特に福音宣教と汚れた霊を追放する権威を授けられた人たちです。

12という数はイスラエルの12部族に対応しています。
新しい神の民を生み出すイエス様の意図が表されています。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネなどの12使徒は普通のただの人たちです。
新しい神の民を創り出すにはあまりにも貧弱な人たちです。
しかし、この12使徒からキリスト教会が始まりました。
神のなさる方法は本当に不思議です。
ただ、はっきりしていることは、彼らは「イエス様の復活の証人」であり、
イエス様の十字架上の死と復活を歴史上、
実際に起こった事実として証言して行ったのです。
永遠のいのちと罪の赦しのメッセージが人間の歴史を
貫き伝え続けられているのです。

イエス様の権威に満ちた言葉が響いてきます。
<あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それはあなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため>
(ヨハネ15:16)です。

このみことばが私の心に響いています。

牧師コラム 「らしんばん」 2015年1月25日

IMG_8506  栗原延元牧師

<安息日は人間のために設けられたのです。
人間が安息日のために造られたのではありません。
人の子は安息日にも主です。>(マルコ2:27-28)とは
イエス・キリストの言葉です。

この言葉から、イエス・キリストと人間と日との関わりを知ることができます。
まず安息日を含めて「日」はイエスによって造られたのです。
創世記1章に、神がある調和をもって自然を造り、
日を定め、年を定められました。
その創造のわざに神の御子としてイエスは参加していたということです。
「日」を設けたのは人に仕えるために、人となられた神であるイエスなのです。

また人は神のかたちに、神によって造られました。
その創造のわざにイエスは「主」として加わっていたのです。
人間は神が設けられた地と世界に生かされているのです。
その人間のために一日という日が定められたのです。

私たちの日々は、無限には続きません。有限です。
一生を70年とすると25,550日です。
人はその日を大安とか仏滅とか友引などと呼んでいますが、
本来それは全く無意味なことなのです。
人がイエス様のもとに行く時、人はまことの安らぎを得るのです。

牧師コラム 「らしんばん」 2015年1月11日

IMG_8506  栗原 延元牧師

今日は「イエスの友人たち」と題して学びます。
まずイエスの弟子となったのは2組の漁師の兄弟たちでした。

その仲間となったのがレビ・マタイという取税人でした。
この人は後にマタイの福音書を書いた人です。
彼は実入りの良い取税人を捨ててイエスに従ったのです。

彼はいやいやながら従ったのではありません。
<わたしについて来なさい>とのお声が掛けられて喜んで
イエスの弟子になりました。
それで友人、知人たちを家に招いて盛大な宴を開きました。
その中には学者たち、取税人、罪人たちもいました。
マタイの付き合いの広さが伺えます。

イエスの友人の大多数は取税人や罪人たちでした。
旧約聖書の専門家である律法学者たちは、どんな人とも付き合う
イエスの無軌道ぶりにあきれたのでしょう。
弟子たちのところに来てこう言ったのです。
<なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか>と。

イエスはこれを聞いて
<医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです>
と答えられました。

罪の病いを負う人の医者がイエスなのです。
己の罪人としての姿が見えて来るとき、イエスの招きの声が聞こえて来るのです。

牧師コラム 「らしんばん」 2015年1月4日

IMG_8506  栗原 延元牧師

 

新年明けましておめでとうございます。
年の始めから石巻の地で礼拝をもてる恵みを感謝しています。

聖書の中で
<この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。>
(出エジプト記12章2節)
と録されている箇所があります。

それはイスラエルの民がエジプトの国を出た月の事です。
いわゆる出エジプトです。
四百年もの間、イスラエルの民はエジプトで奴隷の民として
過酷な労働を課せられていました。
労役の叫びは神に届き、神は彼らの嘆きを聞かれ、
モーセを起こし、数々の不思議なわざをもって
奴隷の国エジプトからイスラエルの民を約束の地カナンに導きました。

この出エジプトは、罪の奴隷の下にある人々を解放する
イエス・キリストの救いを意味します。

人は罪の奴隷となっています。
奴隷となっている人をその状態とその結果である死から
解放することのできる唯一の方がイエス・キリストです。
このことを贖い(あがない)と言います。
イエス様は身代金を払って、罪の下にある人々を解放して下さいました。
その第一声が
<子よ。あなたの罪は赦されました>(マルコ福音書2章5節)なのです。

牧師コラム 「らしんばん」 2014年12月28日

IMG_8506  吉田 耕三牧師

 

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」  (詩篇103篇2節)

今日初めて、石巻週報の「らしんばん」に書かせて頂いているのですが、
何か不思議に、襟を正されているような気になります。

もうすぐ4年になろうとしている支援活動、愛の業の実として、
今ここに教会堂が立ち、宣教が進められようとしているわけで、
それは同時に、東北宣教という、仙台教会に与えられている
使命の具現の場としての働きでもあることを強く感じているからです。

思えば、あの大震災の直前3月6日に、仙台教会では、
もう一度主の使命に立って東北宣教を覚えようと、「東北宣教祈り会」を始め、
特に、宮城の石巻や気仙沼、また岩手の町々に主の業が起こりますようにと、
共に祈ったのでした。

その結果が、素晴らしい神様の御業というより、あの凄まじい震災だったのです。
私たちは途方にくれましたが、神様はその結果として、押し出すように
仙台教会を東北宣教へと導かれたのでした。

このような経緯を覚える時、私たちも、主が愛されている、
この東北の為に、更に熱心に祈り、共に立ち上がらせて頂きたいと考えるです。

牧師コラム 「らしんばん」 2014年12月21日

IMG_8506  栗原 延元牧師

 

マタイの福音書2章には、イエスの幼児期に
起こった極めて対照的な出来事が録されています。

遠い異邦の東方の博士達が、わざわざ
<ユダヤ人の王としてお生まれになった方>を
拝みにエルサレムにやって来ます。
一方、エルサレムの都でユダヤ王であったヘロデは、その幼子を殺そうと画策します。

イエスの誕生は、その始めから歴史に波紋を起こしています。
何故、波紋が起こり広がっていくのでしょうか。
それはイエスが<ユダヤ人の王>として生まれたからです。
単にユダヤ民族のみの王ではなく、全世界の王、
王の中の王(King of Kings)として生まれたのです。
遠い異邦の博士達の来訪は、イエス・キリストは
王の中の王として生まれたことを証言しているのです。

さらにイエスの生涯をたどっていくと、
その死は十字架刑という苛酷なものでした。
イエスに処刑の判決を下したローマ帝国の総督ピラトは
イエスを<ユダヤ人の王>と呼びました。
イエスは王として生まれ、王であったが故に処刑されました。

しかし神は、この方を死の苦しみから解き放ってよみがえらせ、
私達にいのちの道を知らせて下さったのです。
このイエス様こそが私達の心の王座を占めるとき、
私達に真の自由がもたらされるのです。

神の御子は今宵しも

いよいよ来週は、アドベント(待降節)4週目。
教会では、クリスマス礼拝が持たれます。

石巻会堂として、初めてのクリスマス礼拝。
この3回は、クリスマスにちなんだメッセージを
栗原牧師がお話ししてくれました。

約束の御子がお生まれになった喜びをお伝えして
いきたいと思います。

12月23日には、石巻会堂で、
クリスマスランチパーティーを開きます。
たくさんの地元の方々とクリスマスの意味を
お分かちできますように。

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牧師コラム 「らしんばん」 2014年12月14日

IMG_8506     栗原 延元牧師

救い主イエス・キリストがお生まれになった日の出来事は、
ルカの福音書2章8節から20節までに詳しく録されています。

この日の出来事は、天地創造以来、もっともすばらしい出来事でした。
この日を境に歴史はB.C.(キリスト以前)と
A.D.(主の年)に分けられて記述されます。

主キリストの降誕の告知は、
ベツレヘムの町の羊飼いたちに与えられました。
羊飼いたちは、住民の数の中に加えられない、
卑しいと見なされていた人たちだったのです。

しかし、主の使いは野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた
彼らのところに来られました。
そして「きょうダビデの町で、あなたがたのために、
救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)
と告げたのです。
この知らせの後、御使いと一緒に多くの天の軍勢が現れて、
神を賛美して言いました。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)。

御子イエスの誕生は天の一大イベントでした。
この告知を聞き、実際にその通りであった事を
証言したのが羊飼いたちでした。
神は謙遜な人々の心の中にお住いになるお方なのです。
「主よ、私の心に宿り給え」と祈りたいものです。