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<安息日は人間のために設けられたのです。
人間が安息日のために造られたのではありません。
人の子は安息日にも主です。>(マルコ2:27-28)とは
イエス・キリストの言葉です。
この言葉から、イエス・キリストと人間と日との関わりを知ることができます。
まず安息日を含めて「日」はイエスによって造られたのです。
創世記1章に、神がある調和をもって自然を造り、
日を定め、年を定められました。
その創造のわざに神の御子としてイエスは参加していたということです。
「日」を設けたのは人に仕えるために、人となられた神であるイエスなのです。
また人は神のかたちに、神によって造られました。
その創造のわざにイエスは「主」として加わっていたのです。
人間は神が設けられた地と世界に生かされているのです。
その人間のために一日という日が定められたのです。
私たちの日々は、無限には続きません。有限です。
一生を70年とすると25,550日です。
人はその日を大安とか仏滅とか友引などと呼んでいますが、
本来それは全く無意味なことなのです。
人がイエス様のもとに行く時、人はまことの安らぎを得るのです。