今日は午前中は祈祷会、ボランティアメンバーとともに祈祷会を行いました。この働きが、祈りによって支えられるため、また教会員との顔の見える交わりの上に築かれたものとなるために大切なひとときです。月~金と、聖日を挟まずに活動して下さるボランティアチームの皆様にとっても、教会員にとっても、3人毎のグループに分かれての祈りの時は、互いを知り合うための大切なひとときです。
午後からは、ボランティアチームは昨日に引き続き、兄弟団・石巻キリスト教会にて清掃ミッションに向かいました。この教会は、1.5mの浸水に見舞われ、3日間、水が引きませんでした。このため教会の荷物一式がほとんど水に浸かってだめになり、また大量の泥が会堂内に入ったため、大きな必要がある教会でした。丁度昨日から電気と水道が復旧し、仙台から持参した高圧洗浄機を使用して、塩水に浸かった壁・床の泥と塩分を流し去りました。チームの帰宅は夜遅くになり、大一番であった様子でした。
一方、私(門谷)は教会で待機しました。東京の聖書宣教会(Japan Bible Seminary)より、恩師の津村先生と赤坂先生が来るまで駆けつけて下さることになっていたからです。先生方は2日間、近藤愛哉師(盛岡聖書バプテスト教会)の案内で岩手沿岸部を視察された帰りでした。わざわざ遠路はるばるお越し下さり、お見舞い下さった事に心から感謝しました。先生方には仙台港近辺の被災地を見て頂きました。この際驚いたのは、過去二回訪れた際にはあった、ある自動車のタイヤが四つともホイールごと無くなっていたことです。火事場泥棒とでも言いましょうか。噂されていた被災地周辺の治安悪化の現状を、垣間見た気がしました。このような悲惨な災害を前にしても、心一つ動かされずお金のことばかり考えられる人がいるとは、本当に悲しいことです。目立つ、目に付くものでこれですから、恐らく貴重な家財なども同じ憂き目に遭っていることでしょう。思い出を探してやってきた遺族の方々を空の手で帰らせる。それだけは絶対に謹んでもらいたいものです。
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2011年3月29日「石巻救援ミッション・女川町訪問」
今日は石巻の三箇所の教会に出向きました。最初の二つは教会員のご友人を通して物資不足とのリクエストがあった、日本基督教団・石巻栄光教会(石巻市大街道北)と、同・山城町教会(石巻市泉町)です。栄光教会には幼稚園が併設され、この日から園児の受け入れを再開したとのことでした。園庭ではスタッフが泥の除去を続けていました。幸い浸水は床下で留まった、ということでした。すでにまとまった量の物資がありましたが、食料品を中心に放出しました。近隣の若いお母さん達が話を聞きつけたのでしょうか、早速物資を受け取りに来ていました。その後向かった山城町教会は大正12年竣工と、大変歴史のある教会のようでした。会堂には所狭しと物資が並んでおり、ご婦人方が仕分けをしていました。近隣の方々に配布している最中とのことで、本当に良いタイミングでした。ここで、トラック一台とワゴン一台分に残った物資を全て放出した所、大変喜んで頂けました。ここから、別働隊が活動している兄弟団・石巻キリスト教会に向かう道は、標高が低いせいか浸水が激しく、本当にひどいものでした。教会に到着すると、水に浸かった膨大な家財が教会前に所狭しと並んでおり、EFCボランティアチームがせっせと泥除去にあたっていました。ここで、牧師チームは教会の兄弟姉妹とともに、女川町に向かうことになりました。今回の津波でも最大級の波(18メートル以上)が来たと言われている地です。女川は狭い湾の背後の僅かの土地に全てが集中している地形であったため、すさまじい大破壊がありました。コンクリートの建物ビスケットのように砕けていたり、土台が支柱ごと根こぎにされてひっくり返っていました。「跡形もない」とはこのことだ、という状況でした。教会員のG兄は女川出身で、三十年前の三陸大津波の経験者でしたが、「こっだら波、見たことね」と声を震わせながら故郷の変わり果てた姿を説明して下さいました。その姿が、本当に痛ましくて心が痛みました。住み慣れた町が壊滅するという経験は、いったいどんなものなのでしょう。私には想像も出来ないことでした。
2011年3月28日「中部関西第二便、広島便到着」
仙台のライフライン/物流/交通について報告します。現在、電気・水道・水道・電話については、殆どの地域で復旧しています。ガスについては、昨日は近日中と書きましたが、新聞記事ではごく一部の地域で復旧したのみでまだまだ時間がかかる印象です。我が家では、たまたま自宅の釜に追い炊き機能が無く、以前から保温用にバスヒーターを使っていたため、夜これを入れておけば、翌日にはお風呂が沸くという感じで、入浴ができています。感謝です。/次に物流ですが、食料品や雑貨については並ばず、制限も殆ど無しで買えるようになっています。品目もかなり充実してきています。カセットボンベなど、以前は全くなかったものも買えるようになりました。ガソリンについては昨日記したのと大体同じですが、列の長さが500m程度になり、回転も早くなってきたように見えます。
今日はまた、中部・関西からのボランティアチーム、また広島からのボランティアチームが物資とともに到着して下さいました。名古屋から物資を運んで下さったのは、なんと協議会会長の服部師でした。途中、トラックの後輪がバーストするという深刻なアクシデントも、なんと1時間少々でリカバーされ、夕方6時には到着されました。今回も教会から20名前後の奉仕者が立ち上がり、流れ作業で物資をオリーブ館に運び込みました。いつもながら、その手際の良さには驚くほどでした。広島チームからは、コンパネや2×4材、あるいはスコップやデッキブラシなど、掃除ミッションに必要な機材も届きました。感謝でした。そして、夜のFHのミーティングで、基督兄弟団・石巻教会の浸水被害対応というミッションが入り、翌日、二手に分かれてボランティアが石巻へと出向くことになりました。
2011年3月27日
今日は主日礼拝のためローラー作戦/遠隔地輸送作戦ともお休みでした。ただ、物資を受け取りに来られる方のための窓口は引き続き開設中。午前10時~午後5時まで開き、6名の方々が物資を受け取りに来られました。礼拝は先週と同じく100名以上の方々が出席。JIFHから3名の兄弟方も出席してくださいました。特に第三礼拝は21名と盛況でした。インターネット同時中継も延べ12名の方々が参加しました。仙台の物流は、食料品等はかなり改善され、並ばなくても良い店が多くなっています。肉類も手に入りやすくなっています。ガソリンは相変わらず行列ですが、従来3000円までなどと制限を付けていたのが、満タン+携行缶OKという風に、ずいぶんと良くなってきたようです。教会のガスは近日中に直るという噂が流れてきましたが、まだ復旧していません。
<3/26分>今日は休養日ということで、ローラー作戦/遠隔地輸送作戦ともお休みです。ただ、ぱらつく雨雪のなか、新松戸教会の溝口兄、長谷川兄、花野井兄が物資を携えてワゴン車で駆けつけてくださいました。朝1時に出発してきて下さったとのこと。お三方は先に古川で物資をおろし、それからの仙台到着でした。こうして単独の教会でも支援をして下さる方々には、本当に頭が下がります。感謝します!
2011年3月26日
日は休養日ということで、ローラー作戦/遠隔地輸送作戦ともお休みです。ただ、ぱらつく雨雪のなか、新松戸教会の溝口兄、長谷川兄、花野井兄が物資を携えてワゴン車で駆けつけてくださいました。朝1時に出発してきて下さったとのこと。お三方は先に古川で物資をおろし、それからの仙台到着でした。こうして単独の教会でも支援をして下さる方々には、本当に頭が下がります。感謝します!
2011年3月25日「七ヶ浜・東松島救援ミッション」
今日は中部/名古屋/関西チームの12名の方々ががそれぞれ帰路につかれる日です。朝早くから準備を行い、8時30分には長い帰還の旅につかれました。教会まで輪になってこれまでの働きを感謝し、主が助けの御手を差し伸べて下さった事への感謝祈祷をしました。交わされた固い握手は、主に在る交わりの素晴らしさを実感するものでした。
皆さんを送り出した後、仙台チームは、物資不足の情報が寄せられた七ヶ浜の国際村を目指しました。七ヶ浜は、低い場所は依然として水に浸かっており、特に浜辺近くは壊滅状態で、橋が落ちていたため迂回する必要がありましたが、なんとか到着できました。出迎えて下さったのは国際村のカフェの店長の方でした。「野菜類は全然入ってこない」「今のところ物資はあるが、仙台市への大口の寄付が減っているため、今後食糧不足が懸念される」という、気になる情報を語ってくださいました。にんじん、ジャガイモ、キャベツ、ネギなどの野菜類を中心にお渡しすると「これで、二、三日いけます」と笑みを浮かべてくださいました。仙台にこれ程近い地域でも、物資供給の見通しはそれほど明るくないようです。
ここでは日用品の必要は殆ど無かったため、残った物資をどうしようか考えたあげく、今日TCUのボランティアが活動しているときいた東松島市を目指しました。途中、塩竃、松島を経由しましたが、塩竃はかなりやられており、船が道の横に転がっていたりしましたが、主には浸水被害でした。そして、松島の目抜き通りはひたすら浸水のみの被害といった状況でした。東松島に着き、聖協団宮城聖書教会を目指しました。近づくと、町全体が泥だらけ。厚さ10センチはあろうかというヘドロが庭先や家の中まで覆い尽くしていました。悪臭が鼻を突き、衛生状態の問題はすぐに理解できました。思いヘドロを除去するには多くの人力が必要そうでした。この場所は水がようやく出たそうで、清掃もこれから本格化するものと思われます。教会前え行われていた物資配給コーナーに献品した所、競うようにして地域の方々は物資を持って行かれました。何でも、補給が全く届いていないのだそうです。ここでは始めて「毛布はないの」と聞かれました。これまで、毛布はどの避難所でも自衛隊が大量に持ち込んで行き渡っていると聞いていたので、この日も積んではいませんでした。意外な気がしましたが、床上浸水をしたがまだ住める家の場合は、寝具や衣類の必要は一定割合見られるということが分かりました。これは新たな発見でした。やはり物資運搬というものは、実際に現地に行ってみないと分からないものであることがよく分かった一例でした。
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2011年3月24日「気仙沼キングスガーデン救援ミッション」
今日は、状況確認と物資運搬を兼ねて、気仙沼キングスガーデンに向かいました。この施設は、キリスト教主義に基づく老人福祉施設を見学しようという主旨で、昨年教会行事として訪問したばかりでした。ここは地震発生当日、大火災が起こった地域でした。そしてキングスガーデンについての情報としてあったのは、施設長の森正義先生は生きているが、津波が押し寄せて来る前にテレビに出ていた、ということだけでした。不安な思いで出かけました。気仙沼は仙台から140kmも離れており、日本でも有数の水上高を誇る漁港として知られています。
約三時間の道のりを経て、いざ気仙沼に近づくと、意外な印象を受けました。JR気仙沼駅は無傷に見え、その先には銀行が普通に営業しているではありませんか。中心部は壊滅と思っていましたので、これは意外でした。そして、特養ホームの「キングスタウン」に着きました。ここも、見たところ何の被害もなさそうでした。
施設長の森先生はご健在で、玄関で佇んでおられました。早速様子を聞いた所、「地震発生当時は出かけていたが、避難して助かった。 津波はこの施設から西側に200mのところまで来たが、そこで留まった。ここではマンホールから水が溢れた程度であった。ただ、港の方に行くとすごいことになっている。ケアハウスの南三陸キングスガーデンも高台なので無事であったが、デイサービスセンターについては流された。職員の中にも家が流された人がいる。施設の車も流され、当初はガソリンも無かったので移動できず大変であったが、ある会社役員の方がタンクローリー一台分のガソリンを提供して下さったので助けられた。」とのことでした。
お持ちした物資を全て降ろした所、森先生が近くを同行してご案内下さることになり一行で向かいました。車で10分程度走った場所は、海からすぐ近くの低地地帯でした。南気仙沼駅近くの場所でしたが、文字通り跡形もありませんでした。そこには、気仙沼第一聖書バプテスト教会がありましたが、森先生も「私にもこのあたり、としか言えないのです」ということでした。主の教会が土台だけしか残されていないとは、本当に心痛む風景でした。周囲も、ホームセンター、レストラン、ケーブルテレビの施設、生コン製造所、水産加工場・・ すべてが変わり果てていました。
そうして到着したケアハウスは、比較的高台にあったため津波は免れていました。丁度、電気が戻ったばかりでしたが、水道とガスはまだでした。そこには、仙台教会の開拓教会である古川教会に属しているSさんが、ご夫妻で入居しておられました。入浴ができず大変そうでしたが、体調は問題ない様子で安心しました。Sさんの息子さんご夫妻は、ガソリン不足のため未だに訪問できていないとのことで、ビデオメッセージをお届けすることにしました。そうこうしているうちに帰りが遅くなり、夜になりました。気温も下がり、雪がちらついてきました。ノーマルタイヤのマイクロバスで峠を超えることには不安もありましたが、守られて無事に帰仙できました。
今日行ってみての感想は、やはり、「実際に足を運んでみないと状況は分からない」ということでした。事前に想像していたのは、壊れた家屋の中でかろうじて立っている特養ホーム、というものでしたが、実際には、車の流れももどって平静を取り戻しつつある姿でした。しかし、港の方は途方も無い状況のまま取り残されている。そういうアンバランスさが危うい形で同居している 。それが気仙沼でした。
2011年3月23日「宮城野区救援ミッション」
昨日夜、はるばる兵庫は武庫之荘の地より駆けつけて下さった大橋謙一師、大竹哲也師また4名の信徒の皆さん、また一昨日からの中部・長岡チームの皆さんとともに、今日は仙台市宮城野区で最も大きな津波被害を受けた、イエス福音教団・シーサードバイブルチャペルへと向かいました。あわよくば牧師先生、または信徒の方々と会い、救援物資をお届けできるのでは無いかと考えてのことです。行ってみると、こちらもまた、見渡す限りの大破壊。歩いてきた地元の方によれば、近所の小学校の屋上に避難した人は助かったが、横の体育館は低かったため、大ぜいの方が亡くなったとのこと。GPSで示された教会の場所に行っても、なにもありません。そこでまた歩いてきた人に聞くと、教会は「そのあたりだ」と教えてくださいました。しかしそこにあるのは土台だけでした。そこで突然「先生!牧師先生がいらっしゃいました!」との声。駆けつけてみると、そこにはなんと偶然母教会の方々と視察に来られた内藤先生がおられました。そしてさらにオドロキだったのは、一緒に行った武庫之荘のメンバーのかなりの人が、内藤先生と一緒に来られた方々をご存じだったこと。こんなにも離れた場所での思わぬつながりに、一同驚くと同時に、主の不思議な摂理を感じました。皆で輪になって祈り、主の教会の再建を願いました。内藤先生は少しは慣れた所に小さなアパートを借りてお住まいとのこと。教会員の行方不明者は1名とのことでした。五年前に建てたばかりの新しい会堂が・・・本当に残念なことでした。/結局、その場では物資を降ろす場所も受け取る人もいなかったため、内藤先生と別れた時は教会への帰宅も考えたのですが、「近くの教会に行きましょう」との大橋先生の一声で、宮城野区幸町の「仙台愛の教会」へ行きました。出迎えて下さった本城伝道師たちに必要の有無を聞くと、なんと教会の前が避難所(幸町小学校)とのことで、非常に大きな必要があるとのこと。早速物資を降ろしました。大層喜んで下さり、教会の方で避難所の方に配布して喜んで頂きたい、ということでした。神様が私たちを不思議に導いて下さった事を心から感謝しました。今回のミッションでは、こういうことがよく起こります。神様が、私たちよりも先に、道を備えていて下さることを強く強く感じるのです。本当に感謝でした。明日は、キングスガーデンがある気仙沼に向かいます。降雪も予報されています。無事をお祈り下さい。
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2011年3月22日「陸前高田救援ミッション」
昨晩駆けつけて下さった、名古屋・名古屋西・長岡の合同ボランティアチームの皆さんが朝、29人乗りのマイクロバスに物資を満載して教会に来て下さいました。今日は、当教会の仲田姉のお知り合いの方から大きな必要があると聞いている、陸前高田市の老人福祉施設「高寿園」に向かいます。緊急車両の指定も受けているため、高速をつかって スムーズに現地に向かえました。しかし、陸前高田まであと7キロ程度と思った所で、突如風景が一変。そこにあるのは、見渡す限りのガレキ、ガレキ、がれきの山・・・。道路の両側にうずたかくガレキが積み重なり、そのような壁の間を通って私たちは目的地に向かいました。一体何度「これはひどい・・」とつぶやいたことでしょう。文字通り「言葉にならない」とはこのことでした。最も胸が詰まったのは、家族のアルバムを発見した時です。泥にまみれたそれは、つい10日ほど前まで、そこで何気ない平和な日常があったことを思わせました。果たしてこのがれきの山の中のどこに、目的地があるのか。不安を感じながらいると、髙田小学校がありました。そして、そこが津波の最高到達点でした。そこから風景が一変します。目指す「高寿園」は高台の上にあり、施設は無傷でした。・・が、200人のお年寄りの入居者に加え、300人の避難者がおられて、皆さんホールに雑魚寝状態とのことでした。幸い電気はあるため床暖が入っていましたが、オムツ・タオル・食料全般が圧倒的に不足しているということでした。私たちが携えていったものもまさにズバリでした。また30名の小学生の避難者もいたため、救援物資の中のお菓子は本当に喜ばれました。500名という膨大な人数であったため、ほぼ全ての物資を放出し、帰路につこうかどうしようか迷っていた時、「陸前高田の教会に行きましょう」の声が。iPodで調べると数百メートルの距離。早速向かおうとしました。・・・が、牧師先生がどこにいるのか全く分からない状況。途方に暮れる中、青年のボランティアがガレキを乗り越えて教会方向に向かうと、何と森田為吉牧師夫妻がご健在で来て下さいました。救援物資をお渡ししたところ、大変喜んでくださいました。隣家の方も笑顔で「ありがとうございます!」と何度も頭を下げておられました。教会までの道はガレキでふさがれているため補給は非常に難しく、なおかつ電気・水道は寸断されたまま。調達をしようにも、物流という二文字はこの町からは完全に消え去った状態でした。伺うと、先生ご夫妻は40年前に東京からこちらに移ってこられたとのこと。当時の岩手の食事は「あわ・ひえ」だったそうです。奥様は仕事をしながら牧会を支えておられました。岩手の田舎町でそのような健気な姿を見る時、自分のぬるい信仰が恥ずかしくなる思いでした。皆で涙ながらに祈りあい、手を降って沸かれました。何ともやりきれないがれきの山で先生の姿が見えなくなった時、思いました。「全てが夢であったらよいのに」と。けれども、現実はそこにありました。テレビやネットで見る映像や画像とは、全く違う世界がそこにありました。「被災」の現実を、まざまざと見せつけられました。このような教会の再建こそ、私たち教会人に託された使命ではないか。そう思わされた一日でした。
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2011年3月21日「支援物資到着!」
今日から、関東・関西からの支援物資が届き始めました。手始めは、ワゴン車二台で埼玉から駆けつけて下さった高尾浩史師、斎藤耕師、高尾利彦師、青野兄のお四方です。深夜1時に出発し、新潟を経由して朝9時30分の到着。道路は順調とのことでした。震災以来始めて届く救援物資。抱擁と握手を交わした時は、胸が熱くなりました。早速荷下ろしをし、輪になって祈った後、皆で見送りました。その後は婦人達が中心になって、ポリ袋に食品・生活用品数点を入れ、「緊急支援物資あります。取りに来て下さい!」と地図/連絡先/リストを記した紙を入れた「支援セット」を100数十作り、一軒一軒、教会近辺から順に手渡しして回りました。大変喜ばれ、直後から「ガスボンベありますか」「お茶ありますか」「オムツは?」「粉ミルクを」と求める人が次々とやってこられました。あいにく全てを放出した後だったため、「明日お越し下さい」と言ってお帰り頂いた人もあったほどでした。そうこうしているうちに、今度は上田教会を朝出発された小川さんご夫妻が、貴重なガソリンをたくさん携えて、軽トラックで駆けつけてくださいました。今の仙台では、ガソリンは本当に貴重品です。被災地に届けるにもこれがないと何も出来ません。伺うと、地元の農家の皆様が、農業機械用のガソリンと携行タンクを提供して下さったとのこと。本当に感謝に堪えません。小川さんは葡萄園を営んでおられるとのこと。長野にお越しの際は、ぜひ小川さんの葡萄をお楽しみ下さい(大変おいしいとのことです!)。小川さんの奥様は、ボランティアのため残って下さるとのことです。さて、そうこうしているうちに、今度は浦和教会を11時30分頃出発された、トレンタ便の山口社長から電話が入り、5時30分頃到着予定とのこと。教会員に一斉メール送信を行い、奉仕を募りました。すると、5時頃から皆さん来て下さり、最終的には30人の群れに!感謝しながら収納の仕方を説明し始めた丁度その時、5時30分、4トントラックが到着しました。予想はしていましたが、文字通り「山のような」物資の数々。流れ作業で手渡ししながらどんどん収納しました。一時は入るかなと心配しましたが、1時間で収納してみれば、まだ余裕がありました。山口さんは、この物資を降ろした後、とんぼ返りして次の輸送に入られるとのこと。長時間運転の疲労を知っている者として、その御労苦には頭が下がりました。記念写真を撮り、感謝してお見送り致しました。こうして届いた物資。まずは教会員とその隣近所にキリストの愛を現して頂きたい、ということで持って行って頂きました。皆さん笑顔、笑顔、笑顔。震災以来、これだけの笑顔が一堂に会したのは初めてのようにも思います。夜、中部・関西の諸教会からの物資も、無事明泉学園に運び込まれたとの知らせが入りました。名古屋の諸教会よりボランティアの方6名もすでに現地入りしておられます。明日は、届けられた愛の物資を車に積み、津波の被害を受けた石巻方面と、亘理・若林・宮城の方面を回ってくる予定です。有効に用いられますよう、お祈り頂けましたら幸いです。感謝しつつ。そう、もう一つ嬉しいニュースを忘れていました。今日、教会の水道が復旧しました!ハレルヤ!これでトイレの心配から解放されますし、水を運ばなくても良くなります。神様、、ありがとうございます!では!
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