2011年3月22日「陸前高田救援ミッション」

昨晩駆けつけて下さった、名古屋・名古屋西・長岡の合同ボランティアチームの皆さんが朝、29人乗りのマイクロバスに物資を満載して教会に来て下さいました。今日は、当教会の仲田姉のお知り合いの方から大きな必要があると聞いている、陸前高田市の老人福祉施設「高寿園」に向かいます。緊急車両の指定も受けているため、高速をつかって スムーズに現地に向かえました。しかし、陸前高田まであと7キロ程度と思った所で、突如風景が一変。そこにあるのは、見渡す限りのガレキ、ガレキ、がれきの山・・・。道路の両側にうずたかくガレキが積み重なり、そのような壁の間を通って私たちは目的地に向かいました。一体何度「これはひどい・・」とつぶやいたことでしょう。文字通り「言葉にならない」とはこのことでした。最も胸が詰まったのは、家族のアルバムを発見した時です。泥にまみれたそれは、つい10日ほど前まで、そこで何気ない平和な日常があったことを思わせました。果たしてこのがれきの山の中のどこに、目的地があるのか。不安を感じながらいると、髙田小学校がありました。そして、そこが津波の最高到達点でした。そこから風景が一変します。目指す「高寿園」は高台の上にあり、施設は無傷でした。・・が、200人のお年寄りの入居者に加え、300人の避難者がおられて、皆さんホールに雑魚寝状態とのことでした。幸い電気はあるため床暖が入っていましたが、オムツ・タオル・食料全般が圧倒的に不足しているということでした。私たちが携えていったものもまさにズバリでした。また30名の小学生の避難者もいたため、救援物資の中のお菓子は本当に喜ばれました。500名という膨大な人数であったため、ほぼ全ての物資を放出し、帰路につこうかどうしようか迷っていた時、「陸前高田の教会に行きましょう」の声が。iPodで調べると数百メートルの距離。早速向かおうとしました。・・・が、牧師先生がどこにいるのか全く分からない状況。途方に暮れる中、青年のボランティアがガレキを乗り越えて教会方向に向かうと、何と森田為吉牧師夫妻がご健在で来て下さいました。救援物資をお渡ししたところ、大変喜んでくださいました。隣家の方も笑顔で「ありがとうございます!」と何度も頭を下げておられました。教会までの道はガレキでふさがれているため補給は非常に難しく、なおかつ電気・水道は寸断されたまま。調達をしようにも、物流という二文字はこの町からは完全に消え去った状態でした。伺うと、先生ご夫妻は40年前に東京からこちらに移ってこられたとのこと。当時の岩手の食事は「あわ・ひえ」だったそうです。奥様は仕事をしながら牧会を支えておられました。岩手の田舎町でそのような健気な姿を見る時、自分のぬるい信仰が恥ずかしくなる思いでした。皆で涙ながらに祈りあい、手を降って沸かれました。何ともやりきれないがれきの山で先生の姿が見えなくなった時、思いました。「全てが夢であったらよいのに」と。けれども、現実はそこにありました。テレビやネットで見る映像や画像とは、全く違う世界がそこにありました。「被災」の現実を、まざまざと見せつけられました。このような教会の再建こそ、私たち教会人に託された使命ではないか。そう思わされた一日でした。

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