牧師コラム 『信仰による勝利』 2019年11月17日

牧師 高橋勝義

ヨハネは、「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です(Ⅰヨハネ5:4)」と語りました。では「世に打ち勝つ信仰」とは、何でしょうか?
サタンの力の支配下にあるこの世には、罪と悪の楽しみが満ちています。
陰口や悪口、弱い者いじめ、ポルノ…良くないと分かっていてもコントロールができないのです。それは、まことの神から離れたすべての人間の姿、罪人の姿です。更に、さけては通れないも待ち受けています。

しかし、神は私たちのすべてのを愛するひとり子イエス・キリストに身代わりとして負わせ、十字架上で処罰されました。
信仰とは、この事実を自分のことと受け取り、を認め、告白し、キリストをからの救い主として信じること。更にキリストは、死んで墓に葬られ三日目によみがえられた、この事実を信じることです。
この信仰こそが、世に打ち勝つ勝利をもたらすのです。
心の中にある「憎しみ・恨み・嫉妬・妬み」などが、私たちの人生を狂わすのですが、これらを自分の力ではどうすることも出来ないのが私たち人間です。
ところが、キリストを信じる者の内には、聖霊がおられるので、聖霊の助けと励ましによって、に打ち勝つ力が与えられるのです。更にキリストを信じる者には、「永遠のいのち」が与えられるので、「」に対しても勝利できるのです。

人は、誰でも必ずを迎えます。このは、まことの神に背を向けたの結果ですが、十字架上でこのの刑罰を受けてくださったキリストを信じる者は、キリストが再びこの地上に来られる時、キリストを信じるすべての者とともによみがえるのです。
ですから、聖書は「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(Ⅰヨハネ5:5)」と語るのです。

牧師コラム 『神が私たちを愛された』 2019年11月10日

牧師 高橋勝義

愛には、色々な種類の愛があります。恋愛の愛、それは相手に求める愛です。さらに家族や親友への愛、そこにはいとおしむ心が溢れ、犠牲をもいとわない…。
しかし、一方的で押し付けの愛になってしまうこともあります。恋愛も、親子の愛も、友情も、私たち人間の愛には限界があり、見返りを求めてしまう愛なのです。

けれども、ここにもう一つの愛があります。
それは愛するに値しない者をも愛し、ひたすら相手の利益のために一方的に与え尽くして下さる“神の愛”です。
聖書は、あなたに「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちののために、宥めのささげ物としての御子(イエス・キリスト)を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:10)」と語っています。
「宥め(なだめ)のささげ物」とはを犯した者が、ささげ物によってゆるしを請うものです。神に造られ愛されていながら、その命令を破り、神から離れ、に支配されている私たちを、神は見捨てず、愛してやまないお方です。

しかし、神はきよく正しいお方でもありますから、私たちのは罰します。

それ故、神ご自身が、愛する一人子であるイエス・キリストを私たちののための「宥めのささげ物」として、十字架の上で処罰されたのです。これが、神の愛です。
神の愛は、罪人である私たちに対して、神が、自己を犠牲にして注ぐ「無償の愛・見返りを求めない愛」なのです。
「私は神を無視して生きてきた」と思うなら「神様、私を赦してください」と心の中で祈りましょう。そして、あなたのために惜しみなく愛を注がれる神と共に人生を歩んでみませんか。

牧師コラム 『真理の霊と偽りの霊』 2019年11月3日

牧師 高橋勝義

人間は、からだ(肉体)と霊(たましい)とを持つ存在です。
ではなぜ、人は霊(たましい)を持っているのでしょうか?
それは、神が《いのちの息》を人の鼻に吹き込まれたからです。
ご自身が“霊”なるお方である神は、ご自分と親しく交わることができるように、私たち人間に“霊”を与えてくださったのです。

ところで、ヨハネはこの世には「真理の霊と偽りの霊」があると語っています。

真理の霊は、イエス・キリストをからの救い主であることを明らかにし、キリストを信じる信仰へと導きます。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません(Ⅰコリント12:3)」。
ですから、イエス・キリストを告白する霊がまことの神からのものである、と見分けられるのです(Ⅰヨハネ4:2)。これに反し、キリストを否定する霊は、反キリストの霊であり、偽りの霊です(Ⅰヨハネ4:3)。
この世には様々な霊があるので、その霊がまことの神からのものかどうか、吟味し、真理の霊なのか、それとも偽りの霊なのかを、よく見分けるように、とヨハネは促すのです。それは、まことの神との親しい交わりが失われないようにするためです。さらに、この世にあまた溢れる偽りの霊はキリストの十字架によって、すでに打ち破られているので、何も恐れる必要はありません。

私たちを愛し、大切なご自分のひとり子イエス・キリストのいのちをプレゼントして下さった、まことの神に心からの感謝を捧げ、賛美し、礼拝しましょう。

牧師コラム 『死からいのちに移された』 2019年10月27日

牧師 高橋勝義

ヨハネは、「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています(Ⅰヨハネ3:14)」と語っています。では、死からいのちに移ったとは、どのような意味なのでしょうか。

天地万物を創造されたまことの神は、ご自身と親しい交わりを持つ存在として、人間を造られました。そして、神は人に一つの命令を与えます。その命令とは「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2:16,2:17)」でした。

ところが人はこの命令を破ってしまったために、二つのが入り込んできたのです。一つは肉体の死です。もう一つは神のとの交わりが絶たれた霊的な死です。
けれども、神は私たちを愛する故に、神の一人子イエス・キリストをこの世に遣わし、私たちのすべてのをその身に負わせ、十字架の上での刑罰を行ったのです。

この神の愛を受け取り、キリストを信じる者には、復活したキリストから新しいいのちが与えられ、神との交わりが回復し、肉体の死霊的な死から解放されるのです。これが、「死からいのちに移された」の意味するところです。

キリストを信じる者はその愛の中に生きる者に変えられ、更には「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい(ヨハネ15:12)」と命じられるのです。
そこで、ヨハネは「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。(Ⅰヨハネ3:18)」と愛の実践を行うよう勧めるのです。

憎しみから愛する者に変わることを可能にするのは、御子イエス・キリストの名を信じる信仰によって、死からいのちへ移されること以外にはないのです。

2019年10月17日 クラフト教室・支援報告 第192回

・日時:2019年10月17日
・参加者:10名
・奉仕者:仙台教会6名、石巻教会1名

「俵型の2ウエイバッグ(2)」製作

チャペルタイム
「ヤマザキ製パンの創業者 飯島藤十郎」
賛美:「いつくしみ深き」

今月と先月の製作は「俵型の2ウエイバッグ」でした。裏布、ファスナー、表地と重なり手縫いでは手ごわい厚さに悪戦苦闘の場面もありましたが、折りたたんで縫い上げると見事な俵型のバッグが出来上がりました。
完成した方から肩に掛けて、恒例の完成記念写真。皆さんの笑顔が素敵です。
チャペルタイムはお馴染みのヤマザキパンの創業者のお話しでした。
「今朝も食べたわ~」と身近なパン屋さんのお話しに皆さん興味深々。
震災時のヤマザキパンの大きな支援の根底にも「キリストの愛」があると感じました。

前回から、隣町女川の方々だけではなく、教会近隣のかたが3名参加されるようになりました。この教室を通して救われるかたが起こされますように。

 

2019年9月5日 クラフト教室・支援報告 第191回

・日時:2019年9月5日
・参加者:12 名
・奉仕者:仙台教会8名、石巻教会1名

・「俵型2ウエイバッグ (1) 」製作
・チャペルタイム
杉山紘子姉のお証
賛美:「主イエスの愛は」

今月は来月と2回にわたって「俵型2ウエイバッグ」を製作します。
小ぶりですが、軽くて見た目より大容量のバッグです。
無地、花柄などそれぞれ布地を選び、製作開始です。
今回から、教会近隣の方々3名も加わりました。
チャペルタイムは満州からお母さまと幼い妹さん達と引き上げてこられ、女学校時代にイエス様を信じられ、牧師夫人として歩んでこられた杉山姉が神様の素晴らしさを、実体験を交えながらお話しくださいました。

真剣に耳を傾けられておられた皆さんの救いを心からお祈りします。

2019年7月4日 クラフト教室・支援報告 第190回

・日時:2019年7月4日
・参加者:9名
・奉仕者:仙台教会7名、ロ-ナ・ギルバ-ト宣教師、石巻教会1名

・「お花のコ-スタ-」製作
・チャペルタイム
ロ-ナ・ギルバ-ト宣教師のお証し
賛美:「主イエスの愛は」

今回は震災後、いち早く福岡から石巻に支援物資を持ってきて下さり、原発事故後は帰国指示が出たにもかかわらず、被災地にとどまり続け、さらに女川で和服のリメーク事業(恵みプロジェクト)を立ち上げるなど、支援活動とともに宣教活動をされてこられたロ-ナ・ギルバ-ト宣教師をお迎えしました。

このクラフト教室のスタ-トは先生方のお働きから始まったもので、「その根底には主イエス・キリストの愛があります。」と十字架の愛を語ってくださいました。