牧師 高橋勝義 |
愛には、色々な種類の愛があります。恋愛の愛、それは相手に求める愛です。さらに家族や親友への愛、そこにはいとおしむ心が溢れ、犠牲をもいとわない…。
しかし、一方的で押し付けの愛になってしまうこともあります。恋愛も、親子の愛も、友情も、私たち人間の愛には限界があり、見返りを求めてしまう愛なのです。
けれども、ここにもう一つの愛があります。
それは愛するに値しない者をも愛し、ひたすら相手の利益のために一方的に与え尽くして下さる“神の愛”です。
聖書は、あなたに「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子(イエス・キリスト)を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:10)」と語っています。
「宥め(なだめ)のささげ物」とは罪を犯した者が、ささげ物によってゆるしを請うものです。神に造られ愛されていながら、その命令を破り、神から離れ、罪に支配されている私たちを、神は見捨てず、愛してやまないお方です。
しかし、神はきよく正しいお方でもありますから、私たちの罪は罰します。
それ故、神ご自身が、愛する一人子であるイエス・キリストを私たちの罪のための「宥めのささげ物」として、十字架の上で処罰されたのです。これが、神の愛です。
神の愛は、罪人である私たちに対して、神が、自己を犠牲にして注ぐ「無償の愛・見返りを求めない愛」なのです。
「私は神を無視して生きてきた」と思うなら「神様、私を赦してください」と心の中で祈りましょう。そして、あなたのために惜しみなく愛を注がれる神と共に人生を歩んでみませんか。