牧師 高橋勝義 |
〔民数記5章1~10節〕
神はモーセとアロンに、「あなたがたは、イスラエルの子らをその汚れから離れさせなさい。彼らが、彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。(レビ15:31)」と、汚れている人や不純な者は宿営の外に隔離するように命じられました。これは彼らの存在と人格を否定しているわけではなく、神の聖さを汚さないためです。また、罪はそのままにせず、必ず贖いをするように命じています。罪を放置したままにするならば、神の聖さを汚すことになるからです。
さらに、「あなたがたは聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。 (レビ11:45) 」と命じられていますが、これは神の子どもとされた私たちにも語られているのです。「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となること(Ⅰテサロニケ4:3)」だからです。しかし、生まれながら私たちは罪人であり、聖くはありません。しかし、その罪がイエス・キリストの十字架の贖いで帳消しとなり、さらに神との交わりによって聖なる者とされていくのです。ですから、聖書は「もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません(Ⅰヨハネ1:6)」と警告します。私たちは神の御霊が住んでおられる神の宮ですから(Ⅰコリント3:16)、自分の身を汚すことは神の聖さを汚すことになるのです。では、どうすれば聖なる者としての歩みができるのでしょうか。
「御霊によって歩みなさい。~ (ガラテヤ5:16)」と語られているように、御霊の働きを妨げないために、日ごと、罪を主に教えていただき、それを悔い改める(神の前にその罪を認める)ことが大切なのです。(Ⅰヨハネ1:9)