牧師 高橋勝義 |
〔申命記12章1~28節〕
モーセは、約束の地に入ったならば、高い山などに建てられた祭壇、および、そこに祭られている神々の彫像をすべて打ち壊すようにイスラエルの民に命じました。そこは異邦の民の礼拝の場所であり、その彫像は彼らが信じる神々だったからです。
神がエジプトを出て、すぐに幕屋建設をイスラエルに命じられたのは、生けるまことの神がおられるところで、ささげ物を献げ、主を礼拝するためでした。主は、自分勝手な場所で礼拝し、ささげ物を献げないように気をつけなさい、と命じられたのです。また、礼拝は主との交わりの時ですから、主が祝福してくださった、すべての手のわざに感謝し、家族共々に、主の前で食事をし、喜び楽しむようにとも命じられました。
旧約の時代は、罪ある者が聖なる神を礼拝できるように、神は動物のいのちを罪の贖いとされました。しかし、今は、イエス様が十字架の上で流された血潮によって、すべての罪の贖いが成し遂げられたので、だれでも神を礼拝することができるのです。それには、イエス様が「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。(ヨハネ4:21)」と言われたように、イエス様を罪からの救い主と信じることが必要です。また、イエス様は「父なる神はご自身を礼拝する者を求めておられること(ヨハネ4:23)」、そして、「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません(ヨハネ4:24)」と私たちに教えています。
「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい(ローマ12:1)」と勧められているように、私たちも、生ける神を喜びをもって礼拝しましょう。
牧師 高橋勝義