牧師 高橋勝義 |
〔申命記17章1~13節〕
モーセは、生活の中で起こる問題に、どう対処すべきかについて語りました。
「主が忌み嫌われるものをいけにえとして献げたり、主の契約を破り、ほかの神々に仕え、それらを拝む者があれば、男であれ女であれ、よく調査しなければならない。もしそのことが事実であるならば、二人の証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。もし町囲みの中で争い事や様々な事件が起こり、あなたがさばきかねるものであれば、レビ人の祭司たち、あるいは、そのときに立てられているさばき人のもとに行って尋ねる。もし、人が、祭司やさばき人に聞き従わず、不遜なふるまいをするなら、その者は死ななければならない。イスラエルのうちからその悪い者を除き去ることによって、民はみな聞いて恐れ、もう不遜なふるまいをすることがないようにするためである。」
ところで、人はうわさ話しが好きで、特に人の足をひっぱる話しに耳を傾けます。それゆえ、聖書は「人を中傷して回る者は秘密を漏らす。唇を開く者とは交わるな。(箴言20:19)」と忠告します。しかし、「舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちている。(ヤコブ3:8)」のも事実だからです。さまざまなトラブルがおきれば、やはり「二人の証人または三人の証人の証言」が必要になってきます。その時、その証言は誰の前でするのかが肝心になってきます。神を信じる私たちは、「心の中のはかりごと」のすべてを知っておられるお方(Ⅰコリント4:5)を恐れなければなりません。
なぜなら、神の前には「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので知られないもの、明らかにされないものはない。(ルカ8:17)」からです。
牧師 高橋勝義