牧師 高橋勝義 |
〔申命記11章1~32節〕
これから約束の地に入ろうとしている民に、モーセは繰り返し繰り返し、主を愛し、主の掟と定めと命令を守るように命じました。そのうえで、新しい世代に「見よ、私は今日、あなたがたの前に祝福とのろいを置く(申命記11:26)」と語り、彼らに決断を迫ったのです。
「祝福」とは、あなたがたの神、主の命令に聞き従って歩むことであり、「のろい」とは、主の命令に聞き従わず、命じる道から外れて、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って歩むことです。なぜ、モーセは、彼らにこのような決断を迫ったのでしょうか。それは、約束の地を占領し、神が与えると言われた乳と蜜の流れる地で、彼らの日々が長く続くようにするためでした。これまでのイスラエルの歩みを知っているモーセだからこそ、心を定めて、主を愛し、主の掟と定めと命令をいつも守るようにと促したのです。
聖書は「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある(箴言14:12)」と語ります。また「どのようにして若い人は自分の道を清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに道を守ることです。(詩篇119:9)」とも語っています。
イスラエルに対するモーセの問いかけは、私たちにも問いかけられていることです。それは、私たちを造られた生けるまことの神を信じ、このお方に従って歩むのか、それとも、自分の力やこの世の力に頼って生きるのかと。つまり、永遠のいのちへの道か、それとも、滅びの道か、どちらを選ぶのか、と神は私たちに決断を迫っておられるのです。
神は「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない─【神】である主のことば─。だから立ち返って、生きよ。(エゼキエル18:32)」と私たちに語っておられます。
牧師 高橋勝義