牧師 高橋勝義 |
〔申命記18章1~8節〕
神は「見よ。わたしは、イスラエルの子らのうちで最初に胎を開いたすべての長子の代わりに、イスラエルの子らの中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものとなる。(民数記3:12)」と定め、「レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびすべてそれに付属するものを管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これに仕え、幕屋の周りに宿営しなければならない。(民数記1:50)」と、レビ人を神の奉仕の働きに召されました。それゆえ、レビ人には、約束の地における相続地が割り当てられていません。主は民が主への献げ物として献げた物の中から、彼らが受けとるべきものを定められたのです。
教会はキリストのからだにたとえられています(エペソ1:23)。ですから、主を信じる私たち一人ひとりはキリストのからだの部分なのです(Ⅰコリント12:27)。からだには、たくさんの器官があり、それぞれの器官が助け合っているように、私たちもそれぞれの働きを尊重しつつ、助け合い、キリストのからだである教会を建て上げるのです(エペソ4:12)。
私たちがキリストのからだのどの部分に召されているのかは、主から教えていただかなければ分かりません。さらに、どの部分も大切な器官であり、優劣はないことも覚えなければなりません。ですから、すぐに優劣をつけてしまう私たちに、主は、「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい(ローマ12:10)」と命じるのです。さらに、私たちは地の塩、世の光として、この世に遣わされている(マタイ5:13,14)ことも忘れてはなりません。事の大小にかかわらず、主にあって忠実に歩んでいきましょう。
牧師 高橋勝義