牧師 高橋勝義 |
〔申命記21章1~23節〕
モーセは、日常生活の中で起こる諸問題にどのように対処すべきかについて語りました。
野で殺害され、犯人不明の場合は、働いたことのない雌の子牛をもって贖いをする。捕虜の女性を妻にした場合は、彼女を意のままにしたのだから、気にいらないからといって奴隷のように売ってはならない。妻が2人いてそれぞれの男子の相続権問題は、長子としての権利を優先する。親の言うことを聞かない息子のさばきは、法廷にゆだねる。死刑に処した者を翌日まで木につるしたままにしておいてはならない。それは、木につるされた者は神に呪われた者ゆえ、そのままにするならば、相続地を汚すことになるからである。
神は、ここから、今の私たちに何を教えようとしているのでしょうか。
確かに、私たち人間の心の中には、人を殺してしまいたいほどの怒りや嫉妬、また、何でも自分の意のままにしようとする貪欲、権威に対して逆らう思いなどがあります。それは、今も昔も全く変わりません。それゆえ、イエス様は、私たちの心の中にある悪い考えが人を汚すと語られたのです(マルコ7:20~23)。そして、イエス様は、ご自分を罪からの救い主と信じた私たちに「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。(エペソ5:8)」と命じられました。私たちが、この邪悪な世の中で“光”として輝くためです(ピリピ2:15,16)。同時に、イエス様は、私たちが光の子どもとして光り輝けるように「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます(使徒1:8)」と約束され、その約束の通り、私たちのところに来てくださいました。
ですから、光の子どもとして光り輝く歩みを目指しましょう。
牧師 高橋勝義