牧師 高橋勝義 |
〔申命記1章1~18節〕
イスラエルは、エジプトから救い出され40年の時を経てヨルダンの川向う、モアブの地にたどり着きます。ここで、モーセは、イスラエルの新しい世代に向かって、これまでの歩みの回想、神の律法の反復、そして勧告をします。それが、申命記です。
ホレブで「あなたがたはこの山に十分長くとどまった。あなたがたは向きを変えて出発せよ。」と神が告げられたことばを受け、イスラエルは約束の地を「占領」するために旅立ちましたが、民の中で起こるあらゆる問題が、モーセにひとりに集まるため、負い切れなくなっていました。そこで、モーセは、部族のかしらで、知恵があり経験に富む人たちを選び、彼らをその上に立たせることを提案し、部族のかしらたちに了承されたのです。
教会の働きも同じです。聖書は、「教会はキリストのからだである(エペソ1:23)」と教えています。教会の構成メンバーは、イエス・キリストを罪からの救い主と信じる人々であり、一人ひとりはキリストのからだである教会の部分なのです(Ⅰコリント12:27)。神が一人ひとりに与えておられる賜物を用いて、キリストのからだである教会を建て上げていくのです。
ですから、どの賜物にも優劣はなく、自分に与えられている賜物を用いて「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ(Ⅰコリント12:26)」関係を築き上げることが大切なのです。
それには、「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい(ピリピ2:3)」とあるように、模範を残されたイエス・キリストの歩みに倣い、聖霊の助けを求めて歩むことが大切なのです。
牧師 高橋勝義