牧師 高橋勝義 |
〔申命記1章26~40節〕
神は「見よ、わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。(申命記1:8)」とイスラエルに約束、命じておられたにもかかわらず、38年前の彼らは、先住民の背の高さや高くそびえる城壁の情報に、心が萎え、神の命令に聞き従えなかったのです。それゆえ、神は怒って「あなたがたの子どもたちが、そこに入る。わたしが彼らにそこを与えるので、彼らはそこを所有するようになる。あなたがたは向きを変え、葦の海の道を通って荒野に向かって旅立て。」と命じたのです。イスラエルは、約束の地を目の前にしながら、そこに入ることができず、もと来た道、すなわち、荒野に戻ることになったのです。
「主はあなたがたが宿営する場所を探すために、道中あなたがたの先に立って行き、夜は火の中、昼は雲の中にあって、あなたがたが行くべき道を示される(申命記1:33)お方である」とモーセは語っています。まるで、神が私たちの歩む道を探すために、先立ってくださり、私たちの行くべき道を示してくださる、と私たちに語っているかのようです。ここまで、私たちのことを親身になって心配してくださる神がいるでしょうか。
しかし、私たちの心は、すぐに不信仰に陥り、この世のものを頼みとしてしまいます。ですから、正直に「主よ。私をあわれんでください。」と、神に絶えず祈る必要ああるのです。神は、私たちが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れている(マタイ9:36)ことをご存じのお方であり、その私たちを案じてくださっているお方だからです。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(Ⅰペテロ5:7)」
牧師 高橋勝義