牧師 高橋勝義 |
〔マタイ12章38~42節〕
律法学者、パリサイ人たちからメシア(救い主)の「しるし」を求められたイエス様は、「しるしは与えられない、ただし預言者ヨナのしるしは別です」と答えました。これは、ご自身が十字架の上で死なれ、葬られ、三日目によみがえることを示されたのです。弟子たちにも、このことをはっきりと語っています(マタイ16:2)。彼らがイエス様にしるしを求めたのは、イエス様がメシヤであるならば、それが分かるような天からの神秘的な現象があるはずだ、と考えていたからです。しかし、イエス様は、多くの病人を癒し、悪霊を追い出していました。それゆえ、「たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい(ヨハネ10:38)」と語られたのです。これらは人間にはできないことであるにもかかわらず、彼らは自分たちの立場を守るため、その事実を受け止めようとしなかったのです。
これまで自分が築き上げた地位や名誉を守ろうとするのは、誰もが持っている思いであり、私たちの中にも同じ思いがあることは否定できません。
イエス様は、ユダヤ人ならば誰もが知っている預言者ヨナの話しから、ご自身がこの世に来られた目的を解き明かされたのです。それゆえ、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように(ヘブル3:15)」と警告されています。聞いたみことばが益とならず、みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられずに終わってしまうことのないようにしましょう(ヘブル4:2)。
「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。(ルカ19:9,10)」
牧師 高橋勝義