行き先:石巻万石浦方面 石巻水産高校 第2仮設住宅
参加人数:9名
今回で19回を数えることになった東日本大震災支援。従来の青空で、ブルーシートでの物資配布とういう方法を変えました。今回は、石巻水産高校内第2仮設住宅を戸別訪問し、災害者を励ましつつ、物資を配布しようとする新しい試みを実施してみました。
今まで一度も雨に降られなかった災害支援でしたが、今回も神様は晴天を与えてくれますようにとの祈りの元、仙台を出発しました。しかし、石巻に近づくにつれて、台風12号による暗雲が黒く立ちこめ石巻万石浦についたときには、熱帯のスコールのような大雨でした。
しかし、神様は私たちの思いを超えた祝福をこの後、私たちに与えてくださいました。現場に着いてみると、入り口に仮設住宅集会所がありました。行き当たりばったり近くの方にここを使わせて頂けないか聞いてみると、こころよく、使えることになりました。もし、この場所が与えられなかったら、今回の物資支援は不可能でした。豪雨の中、物資を車から出し分別配布することなど不可能でした。
その上、この場所を利用してたくさんの方がいらっしゃって期せずして、住民の交流の場を提供できたのです。アメリカよりの宣教師ギルバート先生ご夫妻の提唱で、ビンゴゲームを実施しました。大変盛り上がり50人ほどの方が本当に楽しんでいただけました。
コーヒーコーナーも設置でき、私たちと皆さんとの話も盛り上がりました。その中での私が話すことができたある一人のご婦人のお話を紹介させていただきます。そのご婦人は、この近くの集落からきた方ですが、その地域からこの仮設住宅にいらした方は誰もいなく、親しい友達は少ないように思われました。6月6日に引っ越しをされてきたそうです。また不幸なことに、その翌々日6月8日行方不明だったご主人の遺体が見つかったそうです。そのことを私に告げるご婦人の目には涙があふれていました。たぶんこのこと誰にも話しことなどなく一人仮設住宅で一生懸命自分一人で頑張ってこられたのだと私は思いました。
先の阪神淡路大震災の折りに、仮設住宅で、一人暮らしのご老人の孤独死の問題が報道されました。実際、このようにして仮設住宅を訪問してみると、特別のことがない限り住民同士の交流など考えられないと思いました。故に今回のこの支援活動は、単に物資を提供するだけでなく、住民の心をいやす支援を模索する良ききっかけになったように思いました。
この経験をさらに充実した支援に発展できるように工夫していきたく思いました。最後に、今回の支援にご協力して頂いた兄弟姉妹を始め、世界中から義援金、義捐物資を送って頂いた方々に改めて感謝申し上げます。
報告者 加藤 弘