牧師 高橋勝義 |
〔民数記22章14~35節〕
再びモアブの王バラクに招かれた占い師バラムは、見返りに心が動きます。主は彼に行くことを許しますが、「あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え」と語りました。ところが、神の怒りが燃え上がり、主の使いが道に立ちはだかりました。バラムの乗っていたろばが剣を手に持つ主の使いを見てうずくまったのです。バラムはろばを三度打ち、道に戻そうとしますが、主がろばの口を開かれ「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」と言いました。
その後、バラムの目の覆いが除かれ、バラムは抜き身の剣を手に持っている主の使いを見て、ひざまずき、伏し拝みます。主の使いは、「あなたがわたしの道を踏み外そうとしているから、わたしが敵対者として出て来た」と告げました。ようやくバラムは、自分の罪に気づいたのです。主の使いは、「わたしがあなたに告げることばだけを告げよ」と念を押し、こうして、バラムはバラクのもとに向かったのです。
「障子に目あり壁に耳あり」とあるように、どこで誰が聞いているか、見ているか分かりません。けれども、人の心の中までは誰も知ることはできません。しかし、「神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されて」おり(ヘブル4:13)、「闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされる(Ⅰコリント4:5)」のです。ですから、人の前に歩むのか、それとも、神の前に歩むのかが重要になってきます。詩篇の作者は「主は私の味方。私は恐れない。人は私に何ができよう。(詩篇118:6)」と告白しています。肝心なことは、神を恐れて歩むことなのです。
「神は人間に仰せられた。『見よ。主を恐れること、これが知恵であり、悪から遠ざかること、これが悟りである』と。(ヨブ28:28)」
牧師 高橋勝義