牧師 高橋勝義 |
〔民数記10章11~28節〕
エジプトを出て二年、約束の地に出発する準備がすべて整い、その年の第二の月の二十日に雲があかしの幕屋の上から離れ上り、ラッパが吹き鳴らされました。イスラエルの子らはシナイの荒野を旅立ち、雲に導かれてパランの荒野に向かいました。民はすべてモーセを通して神が命じられたように、ユダ族を先頭に十二部族が軍団を先頭に出発したのです。
神の御声に聞き従う歩みについて、預言者サムエルは、イスラエルの民に向かって「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(Ⅰサムエル15:22)と語りました。それはイスラエルがいつのまにか形式主義に陥っていたからです。
詩篇の作者は、「主に身を避けることは人に信頼するよりも良い(詩篇118:8)」と語っていますが、それは、多くの人がこの世の権力や地位、財産や知恵に頼れば、問題は解決できると思っているからです。しかし、詩篇の作者は、主に身を避ける、つまり、神に信頼するほうが遥かに勝っていると言っています。そのようにできないのは、自分が信じているお方のことがよく分かっていないからなのかもしれません。それゆえ、ペテロは、「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。(Ⅰペテロ2:6)」と私たちに訴えます。
キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び(ヘブル5:8)、私たちにもその足跡に従うようにと、模範を残されました(Ⅰペテロ2:21)。
私たちもみことばの約束を信じる信仰の従順を学ばせて頂きましょう。
牧師 高橋勝義