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〔民数記10章1~10節〕
約束の地に出発する準備の最後に、神はモーセに銀のラッパを二本作らせ、それを用いて会衆を召し出したり、宿営を出発させたりするように命じられました。ラッパが長く吹き鳴らされると、全会衆は会見の天幕の入り口の主のところに集まり、その一つが吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちが集まる。また、侵略者との戦い、神が定められた例祭と新月の日、全焼のささげ物と交わりのいけにえの上にラッパを吹き鳴らすとき、イスラエルは神がともにおられることを覚えたのでした。ラッパは、神のみこころを知り、神のご臨在の中にあることを覚えるとても重要な役割を担ったのです。
では今を生きる私たちに、神はどのようにしてみこころを知らせてくださるのでしょうか。それは、「みことばの戸が開くと光が差し浅はかな者に悟りを与えます(詩篇119:130)」とあるように、私たちはみことばによって神のみこころを知るのです。ですから、聖書は神のみこころを知る人生の羅針盤であり、当時のラッパの役割をしているのです。
ところが、イエス様を救い主と信じ、人生の主として心の王座に迎えたにもかかわらず、「彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです。(ヘブル4:2)」と語られています。この世の思い煩いや、富の惑わしや欲望が入り込み、みことばに堅く立つことができなかったからです。
これは、信仰者ならば誰もが経験する切実な問題です。イエス様は、神のみことばはすべて実現する(マタイ5:18)と語っています。ですから、神のみことばの約束に堅く立ち、聖霊の助けによって、様々な問題に勝利する歩みを目指しましょう。(⇒ヘブル11:6)