牧師 高橋勝義 |
〔レビ記25章35~55節〕
もし同胞のイスラエル人が生活に困ったときには、あなたのもとで生活できるように助け、またお金を貸す場合も無利子で貸しなさい、と神は告げられました。さらに生活困窮ゆえに、同胞があなたに身売りしても、彼を奴隷としてあつかってはならないこと、また雇い人か寄留者としてあなたに仕えるのはヨベルの年までとされました。それは、イスラエルは神がエジプトの地から導き出した民であり、神のしもべである同胞を酷使してはならないからです。
神はイスラエルの民に、神を恐れ、同胞への思いやりの心を持つことの大切さ、つまり愛のある行動を取ることを教えられたのです。
ところで私たちは、人をうわべで評価、判断してはいないでしょうか。聖書は「金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来ると、『あなたはこちらの良い席にお座りください』と言い、貧しい人には、『あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい』」(ヤコブ2:3,4)ということのないようと警告しています。このようなうわべによる判断は、たえず私たちの心の中に湧いてきます。イエス様が「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです(ヨハネ15:12)」と語られたのは、本当の愛を知らない私たちに、ご自身の愛を示すことによって、私たちがその愛に生きる者となるめです。それには、イエス様の愛を受け取ることが大切なのです。
イエス様の十字架は、あなたの罪のために、宥めのささげ物となってくださるほどにあなたを愛しているあかしです(Ⅰヨハネ4:10)。私たちも、イエス様のこの愛をいただいて、互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いましょう。(ローマ12:10)