![]() |
〔出エジプト28章22~43節〕
祭司アロンの装束作りを命じる神は、イスラエルの息子の名が彫られた十二個の宝石がはめ込まれた胸当てが、エポデから外れないように詳細な指示をされ、アロンが聖所に入るときには、常に十二部族の名がさばきの胸当てにあり、主の前で覚えられるようにしました。
また青服の裾周りに金の鈴を付けるようにも命じられました。アロンが務めを行うときにこれを着るのです。それは彼が聖所に入り、主の前に出るとき、またそこを去るとき、その鈴の音が聞こえて、彼が死ぬことのないようにするためでした。それは罪に汚れた人間が「聖なる神」にお会いして、いのちを落とすことがないようにとの神の愛のご配慮でした。そして神は、これらを永遠の掟(出エジプト28:43)とされました。
しかし、今イエス様を信じる私たちは、主が十字架の上で流された血潮によって、邪悪な良心さえもきよめられたゆえに、神にお会いすることができるのです。(ヘブル10:22)ですから、聖書は「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(ヘブル4:16)」と積極的に語っています。また「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。(エペソ2:4,5)」とある通りです。
私たちは、イエス様を罪からの救い主と信じる信仰によって、この神の大きな愛とあわれみ、そして恵みの中で日々生かされているのです。
「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です(Ⅰコリント1:18)」