牧師 高橋勝義 |
〔出エジプト29章1~21節〕
神はアロンとその子らを祭司として聖別し、若い雄牛1頭、傷のない雄羊2頭、種無しパン、油を入れない輪型パンを準備し、彼らに対してなすべきことを次のようにモーセに命じました。水で洗い聖められたアロンとその子らは、罪の身代わりの雄牛の頭に手を置き、それを屠り、その血を指で祭壇の四隅の角に塗り、雄牛がアロンとその子らの身代わりとなったことを示す。そして罪のきよめのささげ物として、その内臓は祭壇の上で、肉と皮と汚物は宿営の外で焼く。また主への全焼のささげ物として、雄羊一匹の頭にアロンとその子らは手を置き、屠り、その血を祭壇の側面に振りかけ、その雄羊をすべて祭壇の上で焼いて煙にする。さらに、もう一匹の雄羊の頭に手を置き、屠り、その血を右の耳たぶと、右手の親指と右足の親指に塗り、その血を祭壇の側面に振りかけ、祭壇の上の血と、注ぎの油をアロンとその子らの装束にかける。こうして彼らはイスラエルの祭司として聖別される。
しかしイエス様は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。ただ一度、御自身を献げ、そのことを成し遂げられたからです(ヘブル7:27)。そして、このイエス様を罪からの救い主と信じる私たちは、神の民とされただけではなく、祭司としての使命を担う者とされたのです(Ⅰペテロ2:9)。主を信じた私たちには、全焼のささげ物は不要ですが、日々心の点検が求められています。
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。(ローマ12:2)」