牧師コラム 『罪に身を任せてはいけない』 2022年5月29日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト9章27~35〕
主のことばを真剣に聞いたファラオの家臣は、しもべや家畜を避難させて雹の難を逃れました。しかしそうしなかった家臣は、しもべと家畜を雹に打ち砕かれて失ってしまいました。 ファラオはモーセとアロンを呼び寄せ、おまえたちを去らせるから、災いが終わるように主に祈ってくれ、と頼みます。モーセは、町を出たらすぐ祈ることを約束しますが、「あなたとあなたの家臣はまだ、神である主を恐れていない」とファラオの心を見抜きます。
そしてモーセが、主に向かって両手を伸べ広げると雷と雹、雨はやみました。
すると、これを見たファラオと家臣たちは、またも罪に身を任せ、その心を硬くし、イスラエルの子らを去らせなかったのです。主が言われたとおりでした。

聖書には兄が弟を殺す事件が記されています。二人は神にささげ物をするのですが、二人の心をご覧になった神は、弟アベルのささげ物の方に目を留められます。これに怒った兄カインに神は、「罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない(創4:7)」と警告します。しかし、彼は悔い改めず、怒りに身を任せて弟を殺してしまったのです。

 聖書がファラオとその家臣たちの行為を「罪に身を任せた」と語っているのは、彼らがカインと同じく、神を軽んじ、罪に心を開いてしまったゆえです。頑なな心は、自分の姿が見えず、思いを押し通そうとし、ついにはその身に死を招くのです(ヤコブ1:15)私たちの頑なな心をご存知のキリストは、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34)」と、私たちの罪の執り成しをされました。
罪に身を任せる歩みから離れ、神の愛の中に生きる歩みを目指しましょう。