牧師コラム 『幸いな歩み』 2022年5月1日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト8章16~24節〕
聖書は私たちに「神は心に知恵のある方、力の強い方。この神に対して頑なになって、だれが、そのままですむだろうか。(ヨブ9:4)」と警告しています。

神がモーセに命じたのは、杖で打った地のちりがブヨになる災いが起こることをファラオに告げることでした。そして神が語られた通り、全土でブヨが人や家畜に付きました。呪法師たちも同様に、杖を蛇に、ナイルの水を血に、川から蛙を這い上がらせましたが、ブヨを起こすことはできず、「これは神の指です」とファラオに言います。しかし、ファラオの心は頑ななままでした。さらに神は、次はアブを送ることをファラオに告げ、「わたしがその地のただ中にあって主であることを知るために神の民イスラエルが住むゴシェンの地を特別に扱い、そこにはアブの群れがいないようにする」と言われたのです。すべて神が言われた通りになりましたが、ファラオは災が去るとまたも心を硬くしました。

ファラオは災いを通して「主のような方はほかにいないこと」や「まことの主がおられること」を知ったはずであり、さらに呪法師たちから「これは神の指です」と進言されたのですが、エジプトの王であるという彼のプライドが彼の心をさらに頑なにしていきました。 確かに、ファラオの心が頑ななために災いを招いたわけですが、私たちの心の中にもプライドや虚栄心、競争心、物への執着心など、心を意固地させるものが潜でいます。

では、どうすればよいのでしょうか。「幸いなことよ、いつも恐れる心を持つ人は(箴言28:14)」と聖書が教えているように、私たちを造られた創造主なる神を認め、このお方を恐れる心を持って歩むことこそが幸いなのです。