牧師コラム 『あなたの目はどこを見ているのか』 2022年4月24日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト8章1~15節〕
強情なエジプト王ファラオは、モーセとアロンによって語られる主のことばを聞こうとはしません。神が下したナイル川が血に染まる災いにも、呪法師たちも同様にナイルを血に染めたので、王の心は依然として頑ななままでした。それは主が言われたとおりでした。

次なる主の命令に従いアロンがエジプトの水の上に手を伸ばすと、今度は蛙があちこちに這い上がってきました。今回も呪法師たちは同じことを行いましたが、その蛙を取り除くことができません。全土は蛙だらけになりました。ファラオは二人を呼び寄せ「蛙を除くように、主に祈れ~」と告げます。モーセは「あなたのことばどおりになりますように。それは、あなたが、私たちの神、主のような方はほかにいないことを知るためです。」と言い、主に叫ぶと、蛙は家と庭と畑から死に絶えました。

ファラオは呪法師たちの秘術の限界によって「主のような方はほかにいない」ことを身をもって味わったはずでしたが、一息つくと、今回も心を硬くしてしまいました。

イエス様が「わたし(イエス・キリスト)を見た人は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と語られたように、神はイエス様を通して、私たちにご自身の愛を明らかにされました。その愛は、キリストが十字架の上で私たちの罪のために死なれ、三日目によみがえられた事実に表されています。キリストを罪からの救い主と信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移されるのです。
ですから私たちにとって、キリストを知ることが、肝心で重要な事なのです。

ところで、あなたの目は今、どこを、何を、見ているでしょうか。