牧師コラム 『すべてを明らかにする神』 2022年5月8日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト8章25~32節〕
エジプトを襲ったアブの災難は、神が語られた通り、イスラエル人の住むゴシェンの地にだけはおきませんでした。そしてファラオは、エジプトでイスラエルの神にいけにえを献げても良いと認めますが、いけにえにはエジプト人の忌み嫌う動物を献げるため、民が石で打ち殺される恐れがあるゆえ、主が私たちに言われたとおり、荒野に行かなくてはならないことをモーセは告げます。モーセの申し出を認めたファラオでしたが、「ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」と答えます。ファラオの心は、なんとしても奴隷は手放したくない、しかしアブについてはイスラエルの神の力に頼る、でした。

モーセはファラオに主に祈ることを約束しますが、「民が主にいけにえを献げるために去ることを阻んで、再び欺くことなどありませんように」と念を押します。
主はファラオの心をすべてお見通しでしたが、モーセの祈りを聞かれました。そして、今回も災いが去ると、ファラオは心を翻しました。これは、ファラオがモーセに「主とは何者だ(出5:2)」と語ったように、神ご自身を、また神のことばを軽視しているからにほかありません。たとえ人を欺くことはできても「(神の前には)隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはない(マルコ4:22)」のです。

すべてを知っておられる神に対して、私たちは申し開きをしなければならないのですが、キリストを罪からの救い主として信じる者には、キリストがとりなしをしてくださるのです。

ファラオの言動にも左右されることなく愚直なまでに神を畏れ従ったモーセように、私たちも神のことば(聖書)に真摯に向き合う信仰の歩みを目指しましょう。