牧師コラム 『注がれ続ける神の愛』 2021年11月21日

牧師 高橋勝義

ヤコブは、ルベン、シメオン、レビ、ユダに続きゼブルン、イッサカル、ダン、ガド、アシュル、ナフタリ、ヨセフ、ベニヤミンを祝福します。ところが、ダンの祝福を終えた後に突然「主よ、私はあなたの救いを待ち望む(創世記49:18)」と、神に訴えます。子孫の行く末を案じ、これまで自分を導かれた全能の神に彼らも信頼して歩んでほしい、との切なる思いがこのような祈りのことばとなったのでしょう。

ユダに次いで、多くの祝福が語られたのはヨセフです。
ヨセフについて「イスラエルの岩である牧者が出る」「兄弟たちの中から選り抜かれた者の頭の頂にあるように」と語られているように、彼の子孫から、エジプト脱出後、約束の地獲得を目指した指導者ヨシュア(民13:8)や、民の熱望により王制制定を導いた預言者サムエル(Ⅰサムエル1:1)が出て、困難な状況の中でイスラエルの民を導きました。
ヨセフの歩みを振り返れば、エジプトで宰相の地位になるまでの間、兄弟たちの嫉妬と妬みにより奴隷として売られ、また無実の罪で牢獄に入れられるという苦難が続きました。しかし神はいつも彼とともにおられ、彼の歩みを祝福されたのです。

困難や試練の中で、私たちの信仰は揺り動かされ試されます。しかし「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。(Ⅱテモテ2:13)」とあるように、どんな時も神は私たちの弱さを受け取り、私たちの歩みに合わせて共に歩んでくださるお方なのです。神の愛は私たちにいつも注がれ続けているのです。
「神に信頼し私は何も恐れません。人が私に何をなし得るでしょう。」(詩篇56:11)