牧師コラム 『神の備えし和解』 2021年9月5日

牧師 高橋勝義

自らがベニヤミンの身代わりになるというユダの必死の嘆願に、ヨセフはこらえきれず、声をあげて泣きながら、「父上はお元気ですか、私は、あなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです」と自らを明かします。そのヨセフを前に、兄弟たちは、ただ、ただ、驚愕するばかりでした。その兄たちに向かってヨセフは、自分を売ったことで、心を痛め、自分を責めてはいけない、なぜなら神があなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださったからだ、と語ります。ヨセフは、エジプトでの長い時間の中で、神の御真実と遠大な愛のご計画を教えられ、そして一族の救いのために、自分は神ご自身によってここに遣わされたのだ、と受け取っていたのです。そこには過酷な運命を嘆き、兄たちを恨む思いから解き放された姿がありました。さらに彼は兄たちに、飢饉はまだ五年は続くゆえ、急ぎ父に、ためらうことなく私ヨセフのところに下って来るように伝えて、連れてくるように言います。

ヨセフは弟ベニヤミンをはじめ、兄弟みなに口づけし、抱きあって泣き、互いに語り合いました。すべては神の愛のご配慮により兄弟たちはヨセフと和解ができたのです。 『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)』

キリストが、十字架の上で私たちの罪のために死んでくださったゆえに、私たちと神を隔てる罪の壁が打ち壊され、私たちに赦しと和解の道が開かれたのです。
「これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。(Ⅱコリント5:18)