牧師 高橋勝義![]() |
兄弟揃って楽しい食事の時を過ごした後、ヨセフはしもべに、あの者たちの袋を、食糧で満たし、 代金の銀もそれぞれの袋の口に入れ、さらに一番年下の者の袋には私の銀の杯を入れておくようにと命じます。そして何も知らない兄弟たちは帰路につきました。
ところが、彼らを追いかけて来たしもべに「なぜ、主人の杯を盗むのか」と言われ、驚愕します。まったく身に覚えのない兄弟たちでしたが、なんと銀の杯はベニヤミンの袋の中から見つかったのです。彼らは急いで町に引き返し、ヨセフの前で顔を地に伏します。そして、ユダは「あなた様に何を申し上げられるでしょう。何の申し開きができるでしょう。何と言って弁解することができるでしょう。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。今このとおり、私たちも、そして、その手に杯が見つかった者も、あなた様の奴隷となります。」と言います。しかし、ヨセフは「その手に杯が見つかった者が私の奴隷となる。おまえたちは安心して父のもとへ帰るがよい。」と返しました。ユダは必死に「あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。~ あの子が一緒でなくて、どうして私は父のところへ帰れるでしょう。父に起こるわざわいを見たくありません。」とヨセフに訴えます。(創世記44:1~34)
「私が責任を負う」と父に約束したユダは、自分を差し出してベニヤミンを救おうとしたのです。これは神に背を向け自分中心の歩みをし、滅びに向かって突き進んでいる私たちを救おうとされるイエス・キリストの姿に重なります。イエス・キリストは、私たちのために、今日も「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34)」と、とりなしの祈りをささげてくださっているのです。